2015年1月13日火曜日

上石りえ子リサイタル

ヤマハホール  1986.11.28


演題:
恋は売り物

デューク・エリントン・メドレー 
上石りえ子

ソリチュード

唄を忘れよう

A列車で行こう

リンゴ追分

星に願いを

4ッのお願い

ダニーボーイ

上石りえ子は、東京女子大を卆業後、ロスアンジェルスの大手企業に勤務していたが、ジャズ好きがこうじて退職し、ジャズの勉強をしプロになった変わり種である。
帰国し鈴木章治とリズムエースの専属ヴォーカリストとなり、かたわら銀座のジャズクラブで唄い、ファンが多くなり店長格で経営に参加した。志摩夕起夫・野口久光・いそのてるおなど、ジャズ愛好者が多くなり,また演奏家たちも鈴木章治をはじめ多く参加した。

私も、彼女ファンの友人に誘われて、通ったものだ。友人は、リエちゃんが好きで誕生日に赤いバラを100本?もってゆき、りえちゃんを驚かせた.雨中花屋を共に渡り歩きさがし集めた。私は、ジミーさん(ミッキー・カーチスの父、雪村いずみの義父)と仲がよかった。彼はとても気性がよいドイツ人でドラマ―であった。演奏後は、私の席に来て飲んでいた。気があって冗談を言い合った。

りえちゃんは、日本人では数少ない正確な英語の発音、りえ子節ともいえる短いフレイジグ、そして曲の情感を大事に唄う。
リズム感は日本人離れをしていて、江利チエミなど足元にも及ばぬだろう。あれ・・クラシックの旅だったっけ!

愛聴盤:上石りえ子  ライブ・アット・ギンザヤマハホール(LP)
              宇宙人応答せよ

グルダによるモーツアルトの夕べ

ウィーン・コンチェルトハウス               1995.11.3

会場に到着17:30  開始19時30分と分かり席で待つ。更にグルダに事故あり21時開始となる。誰一人文句を言う人がいない。雑談して待つている。日本なら一騒動だ。

演題:
第一部 モーツアルト・リサイタル

第二部パラダイス・トリオとジャズ(チック・コリア)

第三部 ディスコ・パーティ

第三部 ディスコ・パーティ


トレーナにジャージのズボン、白のスニーカーで動き回る65歳にグルダは、明朝3時半まで弾いたという。私達は,二部の途中で帰った。グルダは奇才だ。彼のピアノは、歯切れよく、そして軽快ながら全体像がはっきり浮かびあがる。彼は又クラシック的ジャズを好み、第2部はその演奏だ。
彼の作曲したアリアを弾いたが、透明ないい曲だった。このアリアは、CDでも聴ける。グルダ・ノン・ストップというCDである。

又、彼の弾いたモーツアルトピアノソナタ全集は楽しみのモーツアルトが聞ける。


愛聴盤:グルダ・ノン・ストップ(1990)4のアリア





エルマン・バイオリン演奏会

芝・日活スポーツセンター

1955.10.20

演題:不明

3度目の来日である

エルマンは1891年キエフ生まれで、巨匠といわれたオイストラッフに対抗した。
粘っこく、重厚でヴィオラやチェロの響きを髣髴させる音色で、エルマン・トーンとして、人気があった。
エルマン・トーンの命名は、野村あらえびす(野村胡堂)らしい。

それにしても、会場は不思議な所だ。記憶にない。私の大学時代だ。場所はいま何だろう?


ジャン・ぺアース演奏会

 
 (メトロポリタン・テナー) 
  コマ劇場 

195?年4.26

内容不詳

新宿コマ劇場でクラシックとは!1950年代であろう。なつかし学生時代だ。
ぺアースはトスカニーニと親しく、NBCSO.でも共演している。凡庸だったとの評もある。
私の記憶はなく、入場券のみが手元に保管されていた。

パールマン・ヴィオリン演奏会を回想する

藤沢市民会館  
   1987.10.15

演目:
バッハ:無伴奏バイオリンソナタ1番

フランク:バイオリンソナタイ長調

ベートーベン:バイオリンソナタ1番

パールマンは1945年イスラエルに生まれた。
4歳の時小児麻痺になり下半身が不自由。
ジュリアード音楽院で学び、アイザック・スターンから、高い評価を受け、17歳でカーネギーホールでデビューした。
パールマン


カーネギーホールの1965.4演奏 ニューヨーク・タイムズ紙の批評より

「真に評判どうりのヴィオリニストだ。音は豊かで暖かく、音楽に合わせて脈打ち、また鎮まる。オクターブの奏法は実に見事だったが、それにも増して最後の楽章のハーモニックスのみじかい部分を、パールマンがヒューと通過した時は凄かった。彼の演奏を聴くときは―技術的、音楽的、そして取り分け人間的な―あらゆるレヴェルで喜びを生みだす。何故ならこの逞しい若者は特別な資質を、つまり心を持っているからである。」

愛聴盤:パールマンの演奏
 
              
バッハ:無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティター

      
 
モーツァルトソナタK.296,K.305、K.306

 ベートーヴェンソナタ9番、5番 春(アシュケナージ)



ハンス・ホッタ―・リサイタル

   産経ホール 1969.
ホッタ―
演題:シューベルト冬の旅

ピアノ:ドコウビル

ホッタ―は、有名なワグナー歌手だが、冬の旅でもその無骨な人格をむき出しにした名盤を4回も録音した。若々しく老成の年を感じさせない。

ディスカウは名職人的な上手さがあり、ホッタ―には人間的な潤いがある。
冬に旅の録音は多いが、個々人の味がでて違いを比較するのは面白い。


愛聴盤:ハンス・ホッタ―sony427・1969
クルト・モル1982
オラフ・ベアー1900
F.ディスカウ ムアー(ピアノ)(LP)
F.ディスカウバレンボイム(ピアノ) 1979(LP)
F.ディスカウ ブレンデル(ピアノ) 1985(LP)
ヒッシュ (LP)







































































アラウ・ピアノ演奏会

林光氏の評
 神奈川県民ホール  1987.5.8

演目

べト―ヴェン;告別ソナタ7番OP10-3  

リストエステの噴水

    ぺトラルカのソネット

    ダンテを読んで


魅力あふれる演目だ。特にリストは抜群だ。

アラウはチリ―の生まれで、11歳にベルリンでデビューした。一時貧困を極めたが、夫人の内助の功もあり、ナチスから逃れ、ニューヨークに移住し活躍の幅を広げた。中期以後のベートーヴェンは、詩情あれ、味わい深い。

 この日の[告別]も老成したベートーヴェンを演じた。

林光氏も高く評価し「作曲者の音による思考を把握し、それをピアノにより追体験している音楽家が、みごとに存在した。」と書いている。
人間味のある温かい音楽を、もっと聴きたかった。
私は、アラウの「ベートーヴェン・ソナタ全集」を
所蔵し聴いているが、名演だと思う。

愛聴盤:
告別
バックハウス;1959年(LP)グルダ、ゲルバー、ポリーニ
リスト;
ボレット、ブレンデル、ホロヴィツ

シュトゥットガルト室内管弦樂団演奏会

神奈川県民ホール1976.6.18

ミュンシュンガ―夫妻とシャガール(右)
指揮:カール・ミュンシュンガ―

ヴァイオリン:ゲオルク・バイノフ

演題
バッヘルベル/カノン

R.シュトラウス/6重奏曲「カプリッチョ」作品85より

グルック/オペラ「パリスとヘレネ」より

ヴィヴァルディ/{四季」作品8


ミュンヒンガ―は、バロック音楽が交響樂的すぎると批判し、従来からの演奏法から脱出を求めた。15人の楽団員が奏でるバロックは独自の音色を保つことに成功し音の響きの美しさを持った奏法に見事にまとめ上げられている。
バッハとモーツァルトを柱として聴く者に感動を与える。

内田光子ピアノリサイタル

1993.10.05 サントリーホール

演題:

ハイドン:ピアノソナタ第37番ニ長調

シューベルト:ピアノソナタ第15番ハ長調「レリーク」D.840


シューマン:クライスレリアーナOP.16

前回のモーツァルト演奏からの2年ぶりの来日である。この2年間はヨーロッパ各地やアメリカカーネギーホールで聴衆を魅了しつずけた。今回は2あく度だけの公演で、しかもモーツァルトを弾かない。
しかし、ハイドンからシューベルト、さらにシューマンの流れは内田光子の取り組みの潮流に乗っている。

当夜も豊かな知性に支えられた内田の音楽を聴かせた。
内田の音楽は緊張感に満ちている。しかもその緊張は、聴く者をこばらせ、委縮させるものではなく、むしろのびのびと自由なしなやかさをもっているのだ。


ハイドンはピアノソナタを50数曲も書いた。モーツァルトはハイドンを崇拝し、ハイドンに捧げし弦楽四重奏曲の名作を残した。第37番にもハイドンの円熟した作曲技法が見られ、第2樂章は美しい。

シューベルトのレリークの意味は遺作という意味で死後発見され、美しい抒情をたたえ2楽章で未完だがシューベルトらしい名作として愛されている。

クライスレリアーナは後に妻となるクララへの想いを作曲したと語っていて、全体が8つの小品からなり、激しい情熱と瞑想的な世界が交互に現れる。演奏数が多い曲だ。

ウィーン・リング・アンサンブル演奏会

茅ヶ崎市民文化会館      1994.1.14

ウィーン.アンサンブル
演目
J.シュトラウス2世  「こうもり」序曲

ツィ―ラ―  ワルツ「心地よい夜に」

J.シュトラウス2世  アンネン・ポルカ

皇帝円舞曲

ツィラ―   ポルカ「生粋のウィーン子」

J.シュトラウス2世 ワルツ (春の声」

  
J.シュトラウス1世  ケッテンブリュッケ・ワルツほか

茅ヶ崎では,恒例化しているウィーンのワルツが今年も行われた。アンサンブルの構成は、ヴィオリン2名、ヴィオラ1名、チェロ1名、コントラバス1名、フルート1名、クラリネット2名、ホルン1名、全体で9名である。ウィーンフィルの首席奏者やソリストが多く、レヴェルは高い。ワルツやポルカなしで都市ウィーンの文化は成り立たないだろう。街にも、ホテルでも、BGMはウィーンワルツだ。

ウィーン八重奏団演奏会

神奈川県立音楽堂     1991.5.11

作曲家:W..A.モーツァルト

演題

八重奏団
セレナードト長調K.525[アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

ファゴットとチェロのためのソナタK。292

クラリネット五重奏曲K.516C

デヴェルティメント変ロ長調K.287


「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、モーツァルトらしい明快で優美な美しさに満ち溢れている珠玉の傑作である。とくに第三楽章がいい。
ファゴットとチェロという二つの低音楽器のためのユニークなソナタは、華やかな表現が光る。
クラリネット五重奏は、K622とともに、愛されている曲である。私は数あるレコードのうち(ウラッハ)のクラリネットが最も好きだ。
デヴェルティメントK.287は、スケールの大きい曲となっている。デヴェルティメントは王候貴族の食事等の際使われる実用音楽で、モーツァルトにも作品が多い。

ボリス・べレゾフスキー・ピアノリサイタル

藤沢市民会館      2002.2.2
べレゾフスキー

演題
シューマン/ソナタ第1番ヘ短調

シューマン/トッカータハ長調

ショパン/スケルツオ第1番ロ短調

ショパン/スケルツオ第2番変ロ短調

リスト/巡礼の年第2年(ヴェネツアとナポリ)

リスト/メフイスト・ワルツ第1番

1990年チャイコフスキーコンクールで優勝、CDも多く、諏訪内昌子との共演CDスラヴォニックがある。

ソナタ1番は、後に妻となるクララ・シューマンへの心の叫びといわれる。

トッカータは、ポエージに富んだいい曲で心地よい。

スケルツオとは、イタリア語で(冗談)の意味でベートーヴェンがメヌエットを転化して以来使われてきたが、ショパンはこれを独立させ、自分の絶望や憂鬱を告白した深刻な音楽へと更に転化させた。

1番は1831年に作曲されたがワルシャワ蜂起の暗い影がショパンの民族的感情を刺激したらしい。第2番はショパンの最も有名な曲の一つで曲の冒頭は聴く者に強いインパクトを与える。

リストは(ピアノは私自身、私の言葉、私の命)と断言し、「巡礼の年」はジュネーブに居を構えヨーロッパを演奏中の(旅のアルバム)で、第1年はスイス、第2年3年はイタリアであった。

メフイストは、ファーストの戯曲によるリストの名技法に酔う曲である。

シビリアン・カッアリス演奏会

 藤沢市民会館  1987.04.16

カッアリス
演題
シューマン  子供の情景

リスト     孤独の中における神の祝福

シューベルト 即興曲 D946-1~2

ベートーヴェン 3番{英雄}変ホ長調OP.55

 
シュウマンは夢見る様に情感が揺れる。カッアリスは、子供の情景は前年に録音、英雄は85年に録音し、手慣れた曲目だ。音の美しさ、分節化と、詩情豊かに謳い上げ、濃厚なロマンティシズムをかんじさせるシューベルト出会った。

彼は又ベートーヴェンの交響曲をピアノ曲に編曲したものを意欲的に弾いている。すでに、3番5番6番7番9番を録音した。魅力的なピアニストだ

内田光子/イギリス室内放送管弦楽団演奏会

 

     サントリーホール 1987.02.25

CD盤
指揮者:ジェフリー・テイト 

演奏:イギリス室内放送管弦樂団

1987.02.25

モーツアルト  ピアノ協奏曲13番、23番

          交響曲第36番

1987.03.04

モーツアルト  ピアノ協奏曲第14,26番

          交響曲第40番

1987.03.06

モーツアルト  ピアノ協奏曲第5,27番

          交響曲第41番(ジュピター)


内田とテイトの共演は、1987年から1999年にピアノ協奏曲全集を完成させた。
内田は1982年毎週火曜日にモーツアルト・ソナタ連続演奏会をひらき、絶賛をあびた。
「ウチダの火曜日」は有名である。
内田の知的な、そして情緒的な、妥協を許さぬ演奏は、聴く者の身が引き締まるところだ。

内田の全録音はいつ聴いても心豊かになるのですべて愛聴している。中でも好きなのは私がたまたま聴いた日のライブ録音;モーツアルトー1991.5.15,17(サントリー・ホール)
です。

ポリーニ講演会 

   サントリー・小ホール   2002..11.13 と    2002.11.18

ポリーニ
ウリツィオ・ポリーニついては、ショパンのエチュード・プレリュードと後期シューベルト・ピアノソナタ集のCDを聴き、大理石の彫刻のごとき彫りの深さに驚き、研ぎ澄まされた音の響きに畏敬の念を感じていた。

そのポリーニが音楽についてピアノ演奏なしの講演をすると聞き2回受講した。イタリア語で話し、通訳がアナウンスした。
かなり難解な、感覚的な話で良く分らなかった。講演では、大学の教師のような風貌で訥々と話した。

序に吉田秀和氏のポリーニ評が的確だと思うので、紹介する(吉田秀和著・世界のピアニスト)

{ポリーニの演奏には、燃えるような強烈なダイナリズムと非常な速さで走ってゆくアレグロの音楽の中に、きれいに歌がきこえるという魅力があるのだが、その反面、奇妙な冷たい感触をもったピアニシモの世界があり、それを現代風の演奏とよぶのも多分的外れではないだろう。それはいわゆるロマンティックな気質とは違い、むしろ感覚的でしかも理知的な肌合いが強いのだ・・・}

私は1989年、1993年と2度聴いた。、まったく同感である。

愛聴盤:ポリーニの名盤;ショパン プレリュード・エチュード(OP25,10)
シュウベルト さすらい人幻想曲
ショパン ポロネーズ集
シェーンベルグ OP19,11,23,25,33








                    
                   

サントリーホール・オープン記念演奏会



 サントリーホール1986.11.11

イギリス放送室内管弦楽団 


指揮テイト

ピアノ 内田光子


モーツアルト:

 ピアノ協奏曲第六,第八、第九番

ピアノソナタ9番

モーツアルト初期の協奏曲を3曲で記念演奏を終えた。
会場の音響も調整したそうで、見事な夜となった。

ソナタ9番のジェノムは、冒頭の奇抜な旋律が私は大好きな曲で内田の軽快な弾き語りのリズムがしばらくの間,頭から消えず心に残った。

内田光子・ピアノリサイタル

 1991.5.10 サントリーホール

演題:W.A.モーツァルト

ソナタ第10番ハ長調K.330

ソナタ第8番イ短調K.310

ソナタ第12番ヘ長調k.332

幻想曲ニ短調K.397

ソナタ第17番ニ長調K.576

モーツァルト没後200年モーツァルトイヤーの本年、オール・モーツァルト・プログラムで、内田は東京で3回、大阪で2回の日本公演をした。私は東京で2晩、耳と心を傾けた。既にCDですべての曲を聴いているが、実演のもつ魅力にはかなわない。

ソナタ第10番は静謐に曲が流れる。内田の作品分析の緻密さが説得力となり心地よい。

ソナタ第8番は短調であるが1778年頃作られた。強い不協和音と不安な疾走にかられる。母の死、孤独、滞在中のパリの不理解が背景にある。

ソナタ第12番はメロディの種類が多く旋風のような流れとテーマの宝庫だ。そして消えゆく終末との対比に心が傾く。

幻想曲ニ短調はハ短調と共に我が愛聴曲だ。独特の力にあふれ、抵抗し難く美しく優しいアレグロに
涙する。

ソナタ第17番ハ内田光子が最も得意とする曲である。優しさとはほど遠い。ヘンデルのオラトリオ的対位法によると言う。

モスクワ・ソロイスツ合奏団演奏会

バシュメット
  サントリーホール1989.5.18

指揮/独奏

ユーリ・バシュメット

演目:

グリーグ  ホルベルグ組曲OP.40

シュニトケ  室内オーケストラのためのトリオ・ソナタ

ヒンデミット  ヴィオラと弦楽のための葬送音楽

チャイコフスキー  弦楽セレナードハ長調OP.23

バシュメットは、世界一のヴィオラ奏者である。今回4度目の来日は、自らが1986年結成したモスクワ合奏団を率いてである。

グリーグの組曲は、第4曲アリアが短調で書かれ、北欧的な静かで物悲しい情緒に溢れた曲である。

シュニトケは,前衛的傾向を代表する人で、意欲的な創造活動をすすめている。この作品はアルバンベルグ財団の依頼で作られ、哀歌調のソナタである。

ヒンデミットは、即物主義を作曲面でとりいれた作曲家である。この曲はジョージ5世の追悼のため、依頼により作られた。第1楽章は「静かに」、第2楽章は「生き生きと」第3楽章は「非常に遅く」第4楽章は「汝の王座より我共に歩む)と記されている。

チャイコフスキーのセレナードは、古典美の音楽の美しさが、純粋な形で音に結晶していて、あらゆる階層から支持されて今日に至っている。

ウィーン祝祭交響楽団を回想する

 1961.10.22 ウィーンコンチェルトハウス

指揮者:ジョウジ・ESCU

演奏者:ウィーン祝祭O.

演題:
ESCU 交響曲第九番

メンデルスゾーン バイオリン協奏曲OP64

ブラームス 交響曲第3番 ハ長調OP68

当日コンチェルトハウスに行き窓口で最後方の立見席で聴いた。プロぐラムを4シリングで買った。立見席は1階の舞台に向かって正面であるが、入口扉の前で音響が
最も良くない場所であるが、貧しい学生や人のために安い料金で音楽が聴ける。私は当日窓口に行ったので、学生と間違えたのかもしれない。

立ち見で背丈の低い私は、舞台が見えず苦労したが疲れは無かった。人生で一度の経験となった。若き日の想い出である。

余談だが、かってゲーテ館で子供は無料だといい、入場料を取ろうとしない。私が社会人だと言ったがつうじなくて、<お前は子供だから>といい、受け取らなかった。係りはかなりの高齢者だった。


愛聴盤:メンデルスゾーンOP.64コンドラシン指揮 モスクワO. オイストラッフ 

     ブラームス 第3交響曲ベーム指揮ベルリンPO.LP 、カラヤン指揮ウィーンPO.
               メンゲルベルグ指揮アムステルダム・コンチェルトへボー LP

内田光子の世界



彼女の醸し出す雰囲気は、特有のものだ。

まず性を超越している。いい女,天女、音楽演奏家、童女、どんな呼称も適応する。些時にはこだわらない性格だろうと思う。

演奏の日、エレヴェータ前で出くわした事がある。
「聴きに来ました」 と頓馬な事を言ったら、表現を変えず「アーソー」と軽く頷かれた。

「せめてデビュ以来のファンです」と言いたかったナ




ジ―クフリード・フォゲル・リサイタル

茅ヶ崎市民会館

シューベルト  冬の旅 1989.2.25

フォゲル
ピアノ:ルドルフ・ドゥンケル

フォーゲルは、ワグナー歌手として圧倒的な演技と、響きをもって国際的な名声を得ている。日本にも数度来ている。

 1.遠く離れた人に
 2.憩いなき恋
 3.羊飼いの嘆きの旅
 4.恋人の近くに
 5.ひめごと
 6.悲しみの喜び
 7.最初の喪失
 8.逢瀬と別れ

堂々とした体躯で唄う。冬の旅は歌手によって随分違いが出てくるように思う。ディスカウに、慣れた耳には夫々の違いが分るが、いずれも、情緒的で、繊細だ。

冬の旅は、何人にも知られ、菩提樹などは子供でも
知り、そして唄う。人生の哀楽、失恋をこれほど唄い上げたシューベルトは、晩年のピアノソナタと共に、すべての人の心の中で生きつずけている。

愛聴盤:冬の旅

ディスカウ、(ピアノ・ムアー)
ディスカウ、(ピアノ・ブレンデル)
ハンス・ホッタ―
ヒッシュ
オラフ・ベア―