2014年10月28日火曜日

モーツァルト礼賛

Ⅱ。小林秀雄の場合

モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裏に玩弄するには美しすぎる。


空の青さや海の匂いの様に、萬葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツアルトの後にも先にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の短い生涯を駆け抜ける。彼はあせってもいないし急いでもいない。彼の足取りは正確で健康である。彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引きずっていないだけだ。


彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。孤独は、至極当たり前な、ありのままの命であり、でっちあげた孤独に伴う嘲笑や皮肉の影さえない。


追記
小林秀雄は、日本での最初のモーツアルトの研究・理解者であった(昭和初期大岡昇平の文献があるが)第二次大戦中彼は文筆発表を停止し、アンリ・ゲオンの書を読み感銘をうけ、「モーツアルト」の執筆にかかり、4~5年推敲を重ねたという。


「モーツアルト」発表前、彼は伊豆に遊んだ。その時伊豆の嵐のあとの海と空に、モーツアルトが音楽の微粒子となって、宇宙に飛び跳ねて行くのを経験した、と書いた。
「僕は、その時、モーツアルトの音楽の精巧明碩な形式で一杯になった精神で、この無定形な自然を見つめていたに相違ない。突然、感動が来た。もはや音楽はレコードからやって来るものではなかった。海の方から、山の方からやって来た」
 そして名著「モーツアルト」が戦後発刊されたのである。