2015年1月3日土曜日

チェコ・フイルハーモニー管弦樂団演奏会

サントリーホール    
ノイマン
1988.11.3

指揮:ノイマン

ヴィオリン:堀正文

演題
R.シュトラウス;交響詩「ドン・ファン」作品20

モーツァルト:ヴィオリン協奏曲第3番K.216

ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88


チェコという響きは、私にはプラハ、ドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェク、スークを想起させる。
又、同時に土の匂いがする。春の日の土の匂いである。そしてドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクの音楽がもつ土の匂い、いわゆる泥臭さは、私に心の安らぎをもたらしてくれる。私が田舎育ちだからであろうか。
だから、スメタナ弦楽四重奏団の演奏が好きだ。
しかも「ボヘミア人は貧しいくせに、枕の下にヴィオリンをおいて生まれてくる」と言われた様に
音樂的素養、弦楽器の演奏では、チェコ人は素晴らしい。
そのチェコ人の特性の集合体が、チェコ・フィルだ。柔軟できめ細かく、つねに潤いをもち、力強さも不足しない。指揮者ノイマンは、チェコフィルの名と同化してスラブ民族を表現できる名指揮者だ。

「ドン・ファン」は、理想を追い求めながらも永遠に満たされることのない悲劇的人物で、常に悔恨の情を抱きながらも女性遍歴をつずけ、ついには絶望して水から死を選ぶ。悲しい交響詩だ。
モーツアルトのヴィオリンは、19歳の時書かれ、彼の個性が滲み、美しい傑作である。N響の
主席ヴィオリン堀は、技巧もすぐれ、知性豊かな演奏をする。

ドヴォルザーク第8番は、ボヘミアの郷土色が濃厚に表れ、心休まるいい曲だ。また奏者たちの作に対する思い入れの素晴らしいこと!ドヴォルザークを聴くには、やはりチェコ産に限る。

クリーブランド管弦楽団/ドホナーニ指揮

オーチャードホール
1990.5.31

ドホナーニ
指揮:ドホナーニ

演題

メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」より

ベルリオーズ:幻想交響曲作品14

真夏の夜の夢は、序曲がいい。聴き手を陶酔させる。傑作である

幻想は、「恋人の旋律」を主柱としての展開が面白い。私はパリ管のシャルル・ミンシュ指揮の録音が好きだ。

指揮者ドホナーニは、セル以上にクリーブランドを鍛え上げた。父、叔父をナチでうしなった彼には、死を賭して闘い抜いた先祖の血が、音楽での妥協を許さなかった。室内楽のような音の繊細・緻密さがクリーブランドの弦楽を支えている。その意味でこの楽団のレベルの高さに驚く。

メトロポリタン歌劇場オペラ<ホフマン物語>

           NHKホール           1988. 05.25(水)

指揮ジェームス・レヴァイン

                  





      オットシェンク

配役:ホフマン/クラシド・ドミンゴ

ドミンゴ

オランピア/エリー・ミルズ

ジェリエッター/マル 

  ティーヌ・デュピュイ

アントニア/ロバータ・アレグザンダー

ステッラ/ジーン・アンダーソン

日本2度目の演奏のメトロだ。ドミンゴとレヴァインの両雄をたずさえた公演にふさわしい熱狂があり、その雰囲気に圧倒された。随分話題に富んだ公演だった。

ホフマンが自分が経験した3ッの恋を物語る。が筋をあらかじめ知らないとよく分らないオペラだ。ドミンゴは言う。「ホフマン役は、人生の4つの世代にわたる一人の男を演じなけねばならない。それはそれぞれ異なったドラマティックなアプローチを求めている。」と。


ドミンゴは70年代に入ってから、バヴァロッティ、カレーラスと並んで世界の3大テナーとして活躍した。近年は指揮者としての存在も大きくなっている。また識者としてもかっやくしている・































メトロポリタン・オペラ <椿姫>を回想する

    NHKホール        2006.6.17

作曲:ヴェルディ

ルネ・フレミング
指揮者:パトリック・サマーズ  

出演:ヴィオレッタ  ルネ・フレミング                

           アルフレード  ラモン・バルカス

フレミングのファンとして、義務感?に駆られて、NHKに出掛けた早く着いたが、ホール前で30分ほど待たされた。
大勢の人が、不満そうにして、雑談していた。とてもオペラの雰囲気ではないなと思った。しかし、憧れのフレミングに久しぶりに会えるので我慢した

                              
椿姫ほど物語の筋が判りやすいオペラはない

椿姫・恋人・恋人の父、 3人の間の勘違いから生ずる葛藤をヴェルディは音楽の力を借りて如何に表現するのか。

それと最後の愁嘆と死の場面ては、舞台劇とでも見られようなフレミングの演技力!。メトロポリタンオペラは全てを満足させてくれる。

内田光子ピアノリサイタル

    サントリーホール  2011.11.7

演題
シューベルト:ピアノソナタハ短調D.958

         ピアノソナタイ長調D.959

         ピアノソナタ変ロ長調.D960


感動に満たされたリサイタルであった。内田は更に進化を遂げている。D.959の途中から彼女の表情は曲に取り憑かれた妖女となり、涙が頬を濡らした。
聴衆にも見えて、伝わった。同じ感情が会場に充満した。私も生涯忘れることのできぬ感動の一夜であった。

1822年、25歳のシューベルトは、梅毒の診断を受け、強く死を自覚し、生を深く突き詰めていくようになった。本日の3曲は1828年9月,死のわずか数週間前に作曲された彼のこの世における遺言でもある。

私は、後日内田光子へのインタービュ記事を目にした。
内田のシューベルト感がよく表現されているので紹介しよう。

  内田はいう。「シューベルトは・・また会いましょう・・がなく完全な消滅の別れを作曲しました。シューマンは・・また会えるかもしれない・・という希望を残して作曲してます。」と。


このインタービュ記事で、内田光子が泣いて弾いた必然的な気持ちを、私は理解した。彼女は決して情に溺れたのではない。ただ音楽の持つなにか深い物のなせる技で、内田はシュウベルトの化身だったと思う。

内田光子の音楽に、早いうちに「また会いたい」・・




リヒテル
  リヒテル・ピアノ演奏会  茅ヶ崎市民文化会館 1970.1

強く印象に今も残っているのは、ピアノの上に小さなランタンをおきがら、手元だけを聴衆にみせて、情感あふれる曲を弾いた。リヒテルは大の日本好きであった。リヒテルの日本人に対するサーヴィスだったかもしれない。あるいは疲れていたかも。しられた名演は、バッハの平均律であろう。美感覚にあふれた格調の高い演奏は、ながく後世に伝えたいもののひとつだ。


リヒテルは第2次世界大戦後突然登場した。「幻のピアニスト」とよばれ、私も好奇心も手伝いカーネギーホルの連続演奏のLPや、その他を手当たり次第に買い求めた。
彼はかなり独特の弾き方をする。ムラも多い。


「内向的な、感じやすい、しかし真実の感情を持った人間を示している音楽家なのではないか(吉田秀和;世界のピアニストより引用)」


愛聴盤: リヒテルの名盤 カーネギーホールリサイタル(ハイドン・プロコフェフ・ベートーヴェン・ラヴェル・)シューマン LP8枚 
バッハ;平均律全集  LP

キャサリン・バトル・リサイタルを回想する

キャサリン・バトル
山梨県民ホール 1987.05.23

出演

ソプラノ:キャスリーン・バトル

ピアノ:ダン・サンダース

演目:
ヘンリー・パーセル/妖精の女王より

/真似事の結婚

フランツ・リスト/もしきれいな芝生があれば

/どうやればと男達が言った。

/もし私が王様なら

/夢に来ませ

R.シュトラウス/我が胸の想い/夜/明日/私の体は空中に浮かんで

ロッシーニ/「セヴィリアの理髪師より

    
黒人霊歌より4曲

前年の秋からTVのコマーシャルで、彼女の歌うオンブラマイフが流れ、その魅力ある声が話題になった。丁度信州に行く途中で、立ち寄った。真っ赤なドレスに身を包んだバトルは、黒人霊歌をふくめて愛らしく唱った。きわめてリリカルな愛嬌に満ちた優しいソプラノである。その後、「アヴェ・マリア」という題のCDが発売されたが、ギターを伴奏にした歌声は胸に浸みいる透明さであり、録音精度もよくオンブラ・マイ・フとともに私の愛聴盤である。

ピエル・ブーレーズ・フェスチィバル

東京文化会館1995.5.18

指揮:ピエル・ブーレズ

ポリーニ
ピアノ演奏:マウリツィオ・ポリーニ

演題:

シェーンベルグ:3ッのピアノ曲/6っのピアノ小品/5っのピアノ曲

ヴェーベルン:ピアノのための変奏曲

ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第2番


12音技法で知られるシェーンベルグだが70作品中ピアノ曲は5曲である。そうちの3曲だ。ポリーニは、高い知性と技法を駆使し現代音楽の拡大に尽くしている。
私は、1974年録音盤で、シェーンベルグのこの演奏会の3曲をポリーニがひいた物を所持しているが、彼は保守的革命家であって、彼の音楽は後期ロマン派の延長線にある様に思われる。音の響きから、ブラームスを想像することは容易であろう。


アルツール・ルービンシュタイン ピアノ独奏会

                               (1961.10.30) 
 カーネギーホール
  •  たまたま旅行中で、ニューヨークにいた私はチケット得て、カーネギーホールに駆けつけた。ショパン弾きとして著名であつた彼の「ノクターン全集」を聴いていたので、親しみがあった。


  • 1906年 ルービンシュタインは、このカーネギーホールで演奏し酷評を受けた。苦い思い出のよみがえるこのホールで74才の彼が行なった10回連続演奏の初日であった。


  • 10.22までパリーで演奏し、多忙を極めるスケジュールだったが、「why do it? It is simple. I love to play piano.」と答えている。 (S.HUROKのthe return of rubinsteinより引用)
  • 演題:
  • ベートーヴェン       二長調ソナタ OP57   情熱 
  • ドビッシー  映像  第2集ペルガマスク組曲
  •  ショパン  ノクターン27番 スケルツオ31番 
  • 歳 堂々と し自信に満ちた演奏で技巧に円熟が感じられた。50年前の記憶は 確かではないが、聴いたという歓びは いまも鮮明である。
私の所蔵愛聴盤情熱
  LP  アシュケナージ  1971年 
 CD  ポリーニ  1971年
 LP  リヒテル  1960年
 CD  グールド  1966年
 LP  スコダ                                                         CD  ゲルバー  1988年 
  LP   ホロヴィッツ  1972年 
 CD  ギレリス  1985年




メロス弦楽四重奏団結成25年記念コンサート

サントリー小ホール  1990.3.26

メロス・カルテット
出演

第1ヴィオリン:ヴィルヘルム・メルヒャー

第2ヴィオリン:ゲルハルト・フォス

ヴィオラ:ヘルマン・フォス

チェロ:ペーター・ブック

演題:

ベートーヴェン  弦楽四重奏曲第13番OP150

ベートーヴェン  大フーガ変ロ長調OP133

シューベルト   弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810[死と乙女」

「メロス」の名は、メルヒャーとフォスを融合したものだ。スメタナ、アマデゥス無きあと現役として最高の技量を持っている。彼らの演奏は、一貫して暖かく、みずみずしい感性がある。私は大好きなモーツァルトのハイドンセットをメロス(1977年録音)で聴くが見事な演奏で飽きない。
ベートーヴェンの2曲は元同じ曲であったが、長すぎでフーガのみ独立させた。13番の第5楽章はベートーヴェン自身が特に感動して書いたと言われており、絶妙な美しさをもっている楽章である。

「死と乙女」は、シューベルト独自の歌謡性を持つ、ロマン的抒情と、しかも力強い音楽であり、シューベルトでもっとも演奏回数の多い曲である。短調の暗さが乙女の死を美化している。私はこの曲が大好きで毎朝きいて仕事にでかけるという人を知っていた。その人はある朝上から下まで黒衣装ででかけ仕事場で倒れ亡くなった。不思議な出来事であった。

バイエルン国立歌劇場[コシファントッテ」を回想する

東京文化会館   1988.12.07
第一幕

歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」全2幕

作曲:モーツアルト

指揮:ウオルフガング・サヴァリッシュ
出演:フイオルデイリージ:ユリア・ヴィラディ
ドラヴェルラ:トゥルデリ―ゼ・シュミット
デスピーナ:ジュリー・カウフマン
合唱:バイエルン国立歌劇場合唱団

サヴァリッシュは3度目の来日、1964年NHKを指揮し、いらい定期演奏会の常連指揮者となったが82年からバイエルンの総監督となり堅実な旋律、繊細な音の演奏でファンを魅了した。
サヴァリッシュの指揮:彼の指の美しさは格別である。指先から音が流れる。

サヴァリッシュ
モーツアルトは、この時期妻コンスタンツェとの葛藤があり、コシファン・トゥッテの背景が整っていた。
「女はみなこうしたもの」この音楽の自然発生の要素が傑作を生んだとみることが出来る。

ベートーヴェンをしてあまりにも軽薄と言わしめた,ふざけた筋書きだが、男女4人の愛の綾が最後は喜びと涙で終わる。


ユリア・ヴィラディ





ユリア・ビラディは、F.ディスカウと結婚、美人だ。歌唱力も良く、曲の分析力にもすぐれている。
モーツアルトのオペラにはヴェルディやプッチーニに無いふざけた唄が多い。仮にこれをモーツアルトのロマン主義と呼ぼう。
ドン・ジョバンニの「奥さん、これが恋人のカタログ」、フィガロの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」、魔笛の「可愛い娘か女房がいれば」等々枚挙に暇なしである。
モーツアルトの音楽が広く現代に愛好されているのは、このロマン主義にもよるものではなかろうか。

ベルリン放送交響楽団演奏会

サントリーホール 1991.12.16

指揮:ハインツ・レークナー

レークナー
演目
モーツァルト/フリーメーソンの葬送音楽K.477

モーツァルト/モテト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618

モーツァルト/レクエムニ短調K.626

覚書
指揮者のレークナーは、1984年から5年間読売日本交響楽団の常任指揮者だった。つねに説得力を持ち、作品の本質にせまる演奏をする。すでに18年にわたりベルリン放送交響楽団を務め、ドイツ的伝統を守りつずけている。

演題は、晩年のモーツァルトの作品を並べた。

フリーメーソンの葬送音楽は、(フリーメーソンとモーツァルトとの関わりは、かなりの憶測を後世に残しているが)、この曲は2人の有力なメンバーの告別式のためつくられた。彼のフリーメーソンへの信条をも示す作品である。

モテットは妻コンスタンツェの世話をしてくれた人のために書かれたものだが、モーツァルト晩年の円熟と明晰な美しさをもついい曲である。妻が大好きにしている。

レクイエムは最後の曲で、映画でも有名になった。未亡人コンスタンッエの依頼で弟子ジェスマイヤーが補完した。aityouki@blogspot.com

ウィーン交響楽団1986年末ベートーヴェン 第9番を回想する

ゥィーン交響楽団   1986.12.31

ウィーン・コンチェルト・ハウス

ベートーベン:交響曲  第9番  OP125  


休憩時のひととき
シュミット夫人の手配により、年末の恒例9番にたどり着いた。

指揮者:PETER SCHNEIDER

演奏:ウィーン交響楽団

ソプラノ: ANA PUSAR
アルト:  MARGARETA HINTERMEIR
テナー:  ジェームス・キング
バス:   RUGGERO RAIMONDI


日本では恒例の9番だ。「歓喜の歌」で今年を終わろう。
指揮者のシュナイダーは、85~87年バイエルン国立歌劇の音楽監督を務めていた。ソリスト4名は当時のベストメンバーといえる。ジェームス・キングは高音域で張りと伸びのあえる声で名高く、歌唱力を伺わせた。ソプラノのANA.PUSARは、透明感のある声量で貫禄があった。

ベートーヴェンは54歳、真の歓喜をうるため自分自身を叱咤し立ち上がった。この曲は終結部のシラーの頒歌[歓喜に寄す」にむけ第3楽章まですすみ、オオ!フロイデ!とバリトンのソロが始まリ魂を引き裂く。そしてベートーヴェンは昇華される・・・

 再考のため、シラーの{歓喜に寄す}の一部を記す。

<おお友よ!この調べではなく、さらに心地よい、さらに歓びに満ちた調べを、ともに唱おう。
全てこの世にある者ら、自然の胸から歓びを飲み、すべての善人も、すべての悪人も、歓びの薔薇の小道をゆく。
そして最後合唱は、ひれ伏して祈るか?億万の人々よ、創造主を心に感じるか?世界の民よ。星空の彼方に、主をさがし求めよう!星達の上に、主はすみたもうのだ!>で終わる。

だが私は,「歓喜に寄す」が、運命への抵抗と激しい悲しみの叫びに聴こえる。彼は快癒への最後の望みも断たれ、自ら命を断とうとする危険の淵に立たされていた。、ただ不屈の道徳心のみが彼を支えていた。

彼の「ハイリゲンシュタットの遺言」から引用しよう。

「私を支えてきた最も高い勇気も今では消え失せた。おお、神のみこころよ。たった一日を。真の歓喜のたった一日を私に見せて下さい.真のよろこびのあの深い響きが私から遠ざかってからすでに久しい。おお我が神よ、いつ私は再び悦びに出会えるのでしょう?・・・その日は永久に来ないのですか?…否、それはあまりにも残酷です!」

また、遺言には、「このままではとうていやりきれない。-運命の喉元をしめつけてやる。
断じて全面的には参ってやらない。おお、人生を千倍にも生きられたらどんなにいいか!」
と書いている。あと700年生きたい人もいたが、べートーヴェンは、なんと1000倍だ!

交響樂第9番は、ベートーヴェンの最後の魂の叫び声に聴こえる・・・

終了後、STADTKRUG(レストラン&バー) で年越し。ジプシー3名の音楽演奏は何やらもっぱら我々の方に向けている。チップの額に頭を使った。来年は、いい年でありますよう!乾杯!

アンナ・プサー
指揮者シュナイダ