2015年1月2日金曜日

ケンプ告別ピアノコンサート を回想する

 東京体育館     1954.11.24

演題

バッハ/ピアノ協奏曲ト長調

モーツアルト/ピアノ協奏曲ニ単調

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 皇帝


 昭和29年11月は、私は大学入学試験勉強中であった。昭 和11年初来日したが、今回は戦後の初来日で10回演奏した。既にベートーヴェン弾きとして世界で活躍、なかでも{皇帝」は定評があり、聴き惚れた。10回におよぶ来日のため日本にフアンが多い。

情緒豊かで、しかも、 崇高な音楽を聞くことができた。学生時代、ケンプの弾いた月光・情熱・悲愴の録音LPは宝物で大事にしたものだ。
ベートーベン弾きで名高い彼の皇帝はLPで聴き慣れていた私の耳に何の抵抗もなく入り、楽しむ事が出来た。
ケンプは人気があり、チケットを得るための行列ができた。

「人生は無数の対位法を伴いながら、同一主題を奏する唯一のフーガではなかろうか?」と彼は言っている。

彼のLPレコード:グラマホンLGM114は、我が学生時代の宝物であった。今再聴してみると真に素晴らしい演奏で間然するところが無い。盤は分厚く重い。A面が「月光」・「悲愴」、B面が「情熱」である。慣れ親しんだ友なのだ。

愛聴盤:
モーツアルト: ピアノコンェルト20番: 内田光子・ハスキル(4種)・ブレンデル・ゼルキン・グルダ・ぺライァ
 ベートーヴェン 5番皇帝 シュナ―ベル指揮 ロンドンSO.ゼルキン

ブレンデルピアノ独奏会を回想する

  神奈川県民ホール  1988.10.12

演題:
モーツァルト;デュポールのメヌエットによる九つの変奏曲KV.573

ブレンデル
ブラームス;主題と変奏 作品18

リスト;バッハの主題による変奏曲

シューベルト;ピアノソナタ第二〇番、D959


巨匠ブレンデルは、膨大な録音を残した。1931年生まれの彼は当年57歳、円熟期の音を聴かせた。特にリストは、精密に裁てられた音楽分析の上での精妙巧緻な名演であった。

私はブレンデルを思う時、丹念に音を拾い、けっして奮い立たず・・・演奏技実は高度、と言った彼の音楽とともに、政治、芸術、哲学についても一家言を持っているということである。これはウィーン的とか、ベーム、ウィーンフィル、から想起するウィーンの音楽家のモデルとは、少々違うと思う。調べると彼は青年時代を「小ウィーン」と呼ばれているグラーツで過ごしている。私はキャサリン嬢(前出)の案内でグラーツへ行った事がある。音楽水準の高い小都市でありながら、あきらかに華やいだウィーンとは異なっていた。
ブレンデルのピアノは、ウィーンに対する小都市グラーツの音楽なのでは・・と思う。ウィーン育ちのグルダ達とは違うのだ。

モーツァルトの曲は、ベルリンの宮廷室内樂長のデュポールの作品から主題を得て、即興的に作った曲である。

ブラームスの主題と変奏は、かれの意中の人、クララ・シューマンの誕生日を祝って書かれた作品である。

リストの曲は、名のとうりバッハの作品から素材を得た創作であって、反復低音による主題を多彩に変奏した作品である。

シューベルトの20番ソナタは彼の死の半年前に書かれた最後の作品3曲の内の1曲である。
最高のピアノ曲だ(内田光子の演奏稿を参照されたい)。

ウィーン・フィルハーモニー管弦樂団演奏会 を回想する

  ザルツブルグモーツァルト音楽祭・東京)1991.3.12サントリーホール

指揮:ハ―ガ―
指揮:レオポルド・ハーガー

ピアノ:シュテファン・ヴラダ―

演題モーツァル

交響曲25番ト短調K.183

ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503

交響曲第41番「ジュピター」ハ長調

25番は、内面的な深みと切迫した表現が見事な作品で、あの名曲40番と共通する要素が潜んでいる。すなわちモーツァルトの中で何回も燃え上がった情熱的で鬱蒼とした気分が、最も激しく表現されている。モーツァルトの世界が展開されている。

「ジュピター」交響曲は、悲愴美で知られる40番から、わずか半月後につくられた、まったく対照的な曲で、輝かしい生命力の高揚と力強いエネルギーの燃焼は、生きる勇気と希望を与えてくれる。音楽が生み出した形而上の最高作品であろう。










リヒテルピアノ独奏会(ベートーヴェンの夕べ)を回想する

リヒテル
   日比谷公会堂   1970.10.02


作曲:ベートーヴェン

ディァヴェルディ6ッの変奏曲OP.34

創作主題による6ッの変奏曲OP.76

15の変奏曲とフーガOP.35(エロイカ変奏曲)

ディアベルリ変奏曲OP.120


OP.34は、有名なハイリゲンシュタットの遺言の書かれた年の作品である。同時にエロイカ変奏曲も書かれた。丁度第3交響曲エロイカの時代で命名は後世である。OP.76は、別名(トルコ行進曲を主題とする変奏曲)と呼ばれていて、ロシア民謡からヒントを得て書かれたらしい。

ディアベルリは、演奏時間が50分という異例の長さで、変奏曲としてはバッハのゴールドベルグ並みであり、演奏技巧のあらゆる可能性を試みているとされる。

私は当時「幻のピアニスト」と言われていたリヒテルに畏敬の思いがあり、1961年アメリカで、「カーネギーホールのリヒテル」というMONOラルLP(SONC)を10枚ばかり購入した。なぜか不思議にリヒテルと通い合うことがあるからです。素人の私にリヒテルを論じる資格がないので、参考に、山根銀二さんの「リヒテルの音楽」を引用します。

「リヒテルの音楽を本質においてなりたたせているのは心の力です。中略・・・
人間のやる音楽には心があり、その心がこもっているほど音楽は立派になるのです。こうゆう簡単な原理をリヒテルの演奏は再認させずにはおかない心の言葉があることがの特徴であり、名声を得た理由であると思われます。
例えば戸外から聞こえてくる遠くの村の祭りの音も、窓辺に鳴く虫の声も、彼の手にかかると、なにか深い意味をもった生命の響きに変わってしまい、あの即興的な自然描写が一大交響曲のように豊かな音楽になってしまうのです。そのあとでは誰の演奏、レコードをきいても、そうゆうことはありません。」


最近私は、ユーリー・ボリゾフ著「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)を読んだ。

リヒテルの芸術に対する見識は音楽のみに限らない。
文学では、チェーホフ、プルースト、トーマス・マン、ゴーゴリ、絵画では、フェルメール、ピカソ、シーレ、ダリ、そしてコクトー、フェリーニ、黒澤明の映画、シエイクスピアの演劇、世界の建築など、あらゆる芸術・文化が幅広い関係を示す幾多のエピソードとともに語られている。博識と鑑識眼の鋭さに驚く。

中でも音楽に対する見識は独特であり、シューベルトのソナタはプルーストの小説に似ているといい、スーラの点描はチャイコフスキーだという。著書の第1ページが彼の好きな抽象画で、内容は啓発的で示唆に富んでいる。

今私は、かってリヒテルが茅ヶ崎市民ホールで演奏した際、キャンドルをピアノの上に置き、自らの顔を浮かび上がらせて弾いたことを思いだす。彼独特の美意識に基づいていたのかも知れないと気付いた。彼の弾く「バッハ平均律全集」ほど静かな朝に相応しい音楽は無いと感じ、幸せな時を送るのである。

マウリツイオ・ポリーニ・ピアノ演奏会を回想する  

東京文化会館                 1989.4.19

ポリーニ
演題

ブラームス:4つの小品OP.119

シェーンベルク:3つのピアノ曲OP.11

シュトックハウゼン:ピアノ曲第5、第9

ベートーヴェン:ソナタ29番OP.106「ハンマークラヴィア」

6度目の来日である。天才ピアニストポリーニも47歳となった。レコードでシェーンベルク、シュトックハウゼン、ベートーヴェンは聴いていたが、ブラームスは、私には初めてであった。ミケランジェロのダヴィデ像のような彫塑的なブラームスで、落ち着いた華麗さに溢れていた。

ポリーニは、20世紀後半の音楽との取り組みが深い数少ない巨匠であり、今日のシェーンベルク、シュトックハウゼンのほか、ノーノ―などの音楽に積極的に関わっている。どこか哲学を感じる芸術家だ。

2002年彼は音楽に対する講演会を行ったので、私は2晩通ってその講義を受講した。懐かしい思い出だ。あの頃の自分は純だった様にも思う。なお、ポリーニについては,別稿(1993.4.27)を参照されたい。

バイエルン放送交響楽団演奏会 

 東京文化会館              1988.5.13

コーリンデーヴィス
指揮:コーリン・ディヴィス
演題:

R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」

ハイドン 交響曲第99番

ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」OP.67

ドン・ファンの筋書きは、他稿で書いた。標題音楽を確立したのは、シュトラウスの功績のひとつだ。
ドン・ファンを表わす旋律は3ッある。1.情熱に駆られて走るドン・ファン 2.美しい女性に魅了され求愛するドン・ファン 3.そして自嘲するドン・ファンである。

ハイドンの99番は楽章構成で自由さが目立ち、ベートーヴェンの交響樂に大きな影響を与えた。
「運命」は、「運命の動機」のモチーフが全曲を貫く。運命はこの様に戸をたたくという4音の積み重ねが緊迫感を生み、最終の歓喜の歌に繋がってゆく。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

神奈川県民ホール  1994.10.4

ショルティ
指揮者:ショルティ

ピアノ:ライーナー・ロイシュニッヒ

演題

ストラヴィンスキー バレエ「ぺトルーシュカ」

チャイコフスキー  交響曲第6番ロ短調「悲愴」OP。74


ショルティは7回目の、ウィーン・フィルは12回目の来日という。ウィーン・フィルは1956年ヒンデミット指揮での初来日以来、カラヤン、ベーム、マゼール、ムーティ、ドホナニ―、アバト指揮でその艶やかな弦の響きを聴かせた。


私は、1956年の初来日を聴いている。まだ学生であったが、たしか有楽町の東京宝塚劇場?あたりで聴いたと覚えている。最後に(アンコール?)アイネクライネを聴いたが、弦の美しかったことを覚えている。

ストラヴィンスキーの「ぺトルーシュカ」は、「火の鳥」「春の祭典」とともに彼の三大バレエ音楽の代表作である。3体の人形の一つが踊り子に恋する話。最後は亡霊となる。

チャイコフスキーの「悲愴」は死の年に作曲した。彼は「筆を進めながら幾度ともなく泣いた」と述べているが、絶望的な悲愴感を曲全部に漂わせている。学生時代には特によく聴いたものだ。

マリア・ジョアオ・ピリス演奏会を回想する


サントリーホール 1994.7.19
ピリス

演奏:ピアノ/ピリス

演題:

グリーグ:抒情小曲集第3集OP.43

モーツァルト:ソナタ変ロ長調K.333

シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化

シューマン:子供の情景

ピリスはリスボン生まれで、今年50歳になった。私は1974年録音の「ピリスモーツァルト・ソナタ全集)を持っていて、そのピアニシモの美しさに驚嘆していた。レコードジャケットのピリスの写真は、可憐な少女の顔立ちであり、もっと若い人だとおもつていた。

モーツァルトのK.333は、メロディが美しく、ききがいのあるモーツァルト最盛期の作品である。

シューマンの「子供の情景」は、彼の代表作となったが、28歳の時の作品であり、愛するクララ・シューマンへの手紙は「シューマンの情景?」が記されている。すなわち「以前あなたはよく、僕の事を子供みたいなところがあると言っていましたね。多分その言葉の余韻の様なものが残っていたのでしょう。今僕は丁度そんな気持ちで30の小曲を書き、その内から12曲を選んで「子供の情景」と題しました。・・・」

私には、あの(ピリスのジャケットの少女)と、(シューマンの子供の情景)が重なって想起されるのである。