2015年1月12日月曜日

[八ケ岳高原で聴くピアノトリオの夕べ]を回想する

 1989.7.8    八ケ岳高原音楽堂


演奏者:ダン・タイ・ソン、ヨゼフ・スーク、堤剛

演題
シューベルト/三重奏曲「ノットゥルノ」D.897

ドヴォルザーク/ピアノ三重奏曲第4番作品90
「ドゥムキ」

ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第7番OP。97「大公」

初夏の星の輝く夜空の一夜を八ケ岳高原ロッジで過ごした。付属の音楽堂は木造六角回つきの音楽専用ホールで250人限定、残響と音質を追及し、毎日芸術賞を受賞した建造物だ。大自然を背景に高度の(名人3人の)音楽を澄み切った星の下の空気のなかで聴くとは!ふと尊敬する武満徹氏の「鳥は星の庭におりる」という作品を想った。武満さんは、この八ケ岳に住み、作曲しているのだ。

また「ドゥムキ」と「ノットゥルノ」は、DENONのLPでヨゼフ・スーク・トリオ演奏で愛聴していたので、夢心地で聴き惚れた。3曲ともに大好きだ。幸せ一杯の音楽会であったので生涯わすれることは無いだろう。

「ケルン放送管弦樂団・ベルティーニ指揮」を回想する

サントリーホール1990.11.21


作曲家:マーラー

交響曲第4番ト長調

交響曲第1番ニ長調「巨人」

第4番の最終章では、マーラーの愛した民衆詩集「子供の不思議な角笛」が挿入され、天国の喜びを唄って終わる。

「巨人」は、ジャン・パウルの大河小説「巨人」から名ずけられた。第一楽章はカッコウの鳴き声が聞こえる静かな序奏が彩りを添える。第2,3楽章でいくつかのメロディがきこえてくる。親しみの沸く曲だ。フィナーレは嵐のようにという激しい楽章で終わる。9番とともに良く演奏され、多くの指揮者が録音盤をリリースしている。

私も大好きな曲だ。第4番はBruno Walter指揮のウィーンフィル、第1番「巨人」は小澤征爾のボストン交響楽団1987版、Walter指揮のニューヨーク1954年版、Bernsteins指揮のアムステルダム・コンチェルトヘボー等が好きだ。

ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏会を回想する


ロリン・マゼール指揮:                 東京文化会館1988.9.29

ロリン・マゼール
演題
ロッシーニ 「セビリアの理髪師」序曲

プッチーニ 「マノン・レスコ」

ヴェルディ 「シチリア島の夕べの祈り」より、<四季>

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」

レスピーギ 交響詩「ローマの松」

「セビリアの理髪師」序曲の第2主題は、オーボエとクラリネットで奏され、このメロディの美しさは有名だ。

「マノン・レスコ」は、プレヴォーの小説が原作、以前私は読んでみた。アメリカに追放されるマノンを騎士デ・グリュ―が追いかける。二人の悲しい運命とつかの間の幸せへの回想を、音楽が甘美に奏でる。

「シチリア島ー」は、実在した事件を脚色したオペラだ。冬、春、夏、秋と、ハープ、クラリネット、フルート、オーボエが夫々の季節を演ずる。

「ローマの噴水」は噴水をみるレスピーギの色彩感と、ファンタジーの豊かさを味わせてくれる。4つの噴水のノスタルジーは詩情にあふれている。「ローマの松」も有名な4つの松の描写である。標題音楽の代表となっている。


内田光子ピアノ・リサイタル

 1991.5.17 サントリーホール

演題:W.A.モーツァルト

ソナタ第15番ハ長調K.545

幻想曲ハ短調K.475

ソナタ第14番ハ短調K.457

グルックの「メッカの巡礼」のアリエッタK.455

ソナタヘ長調K.533+494

ソナタ第15番の第2楽章アンダンテは、モーツアルトのピアノ曲中最高峰と言われるが、冒頭の苦悩と激しさが再現部とともに尊い静けさへと導かれてゆく。第2楽章では左手で浮かび上がってくる絶妙な隠された旋律が、豊かな詩情をかもしださせている。

幻想曲ハ短調は即興的に変化する樂想が織り出されていてニ短調とともに独特の力を感じさせる。

グルックのメッカの巡礼はオペラの原曲の変奏曲であり単純な主題から最大の興味を持たせた。


プラジャーク弦楽四重奏団演奏会を回想する

  日経ホール     1989.03.14



プラジャーク弦楽四重奏団

モーツアルト
 弦楽四重奏曲17番 狩り K458

   クラリネット五重奏曲K581

(クラリネット:村井祐児)

好きな17番を聴くため出かけた。この曲はいわゆるハイドン・セットの始めの曲で狩の美しい角、笛を思わせる喜びのカルテットの狩、すすり泣きの合奏と小鳥たちの合奏の中間にあって、内的なモーツアルトの完成美をしめす。名曲だ。

ここで「アンリ・ゲオンの言」を借りよう。

 「旋律はその連続する美と豊かさによって、技巧と感情を高みから支配できるので、もはやメロディしか現れない。それぞれ自由で個性的な四ッのパートの調和は自然そのもののようにみえる。もしこの世に計算された旋律が存在するとすれば、まさにこのアレグロの歌である。泉の嘆き、そしてすぐに、小夜鳴き鳥のコロラトゥーラがつずく。天才の秘儀である。」

尚、プラジャークはプラハ生まれの四重奏団で、音の彫が深い。


愛聴盤:
室内樂はアナログに限る。モーツアルトの四,五重奏曲は、LPで発売されているものはすべて聴き愛聴している。スメタナ・アマデウス・ウィーンコンチェルトハウス・ブタベスト・メロス・ベルリンフィル室内・ザルツブルグ室内・アルバンベルグ・等々である。

[ラドウ・ルプー・ピアノリサイタル]を回想する

東京芸術劇場 1991.11.06

演題:

ルプー
ブラームス/主題と変奏(1860)

ブラームス/ピアノ・ソナタ第2番作品2

シューマン/クライスレリアーナ作品16

主題と変奏は、ブラームス作品のなかでも最もロマンティクな音楽の一つ、若き日の傑作の一つである。その背景には恋人アガ―テとの恋愛の破局、クララ・シューマンとの恋があった。

ピアノ・ソナタ2番は、夢みるブラームスを、若々しく情緒的に表現した傑作である

シューマンのクライスレリアーナは、ホフマンの小説の主人公からとった。今では、ピアノ曲のポピュラーとなっている。

ルプーのピアノは、思索的で深みのある表現のピアニストとしての地位を確立している。決して華やかなピアニストではない。単なるピアニストではなく彼は音楽家なのだ。

ロバート・マン スペシャルコンサート < 90歳を祝って>

長野県松本文化会館  2009.8.29

指揮:ジョエル・スミルノフ

    ロバート・マン(OP132のみ)

管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ および小沢征爾音楽塾オーケストラ

演題:スメタナ 弦楽四重奏曲第一番「わが生涯より」

    ベートーヴェン弦楽四重奏曲一五番OP132.

    モーツアルト 交響曲四一番ジュピターK.551


ロバート・マンは、ジュリアード弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者で、小沢征爾に賛同し、小沢を後援した。常に小沢塾の指導にあたり、幾多の有能なヴァイオリニストを育てた。スミノフも第二ヴァイオリンを結成時点から努めたが、小沢のアドヴァイスで指揮術を学んでデビュを果たした。

久しぶりで生で聴くジュピターは心に浸みこんだ。ちなみにジュピターが生みだされた日は、私の誕生日であり(勿論年は違う)この奇妙な偶然に満足している。

小沢さんは、体調が悪く聴衆席に来て、頭を下げて軽く拍手に応えた。心から回復を待っています。


シュトゥット・ガルト・フィルハーモニー管弦樂団&合唱団演奏会

サントリーホール1988.12.6

ベートーヴェン
指揮:ウオルフ=ディータ―・ハウシルト

ソプラノ:ロジーナ・バッハー

アルト:カタリーナ・アッカーマン

テノール:フォルカー・ホルン

バス:ヴァルデマール・ヴィルト

演題:

ベートーヴェン:カンタータ「静かな海と楽しい航海」OP.112

          交響曲第9番OP.125「合唱付き」

第9交響曲を年末行事としているのは日本だけだ。第9の構想は55歳の最晩年であり、残された時間はあと8カ月たらずだった。彼のハイリゲンシュタットの遺言で解るように、痛ましく苦悩に満ちていたが、その生活の中に散りばめられた幸福な瞬間の美しく無垢なこと!
「苦悩をつきぬけた人間だけが真の喜びを得る」という交響樂は、音楽の領域を超えて私に迫ってくる。



ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

サントリーホール1991.3.9

(ザルツブルグ・モーツァルト音楽祭)

ミンツ
指揮:アンドレ・プレヴィン

ヴィオリン:シュロモ・ミンツ

作曲:モーツァルト

演題
交響曲38番「プラハ」ニ長調K.504

ヴィオリン協奏曲第5番「トルコ風」イ長調K.219

交響曲第39番変ホ長調K.543

交響曲38番「プラハ」は、だい2楽章がいい。深く繊細な抒情的表現は感動的で気高い精神美を、豊かに醸し出している。思わず口ずさみたくなる。私はスィトナー指揮(ドレスデン)が好きだ。因みにプラハは、フィガロの結婚が成功をおさめた因縁の都市だ。

ヴィオリン第5番は、5曲のヴィオリン・コンチェルトのうちで、最高の作品である。最終章の東洋風の旋律から「トルコ風」と呼ばれている。後世の人の命名である。

交響曲39番は、三大交響曲の第1作であるが、モーツァルトはわずか1ヵ月半で、39,40,41番を作曲した。しかもその3曲がそれぞれ対照的な独自性をたもっている、まさに人間業とはおもわれない底知れない天分を痛感する。
39番の構成理念をアインシュタインは「死は人間の最良の友」といったモーツァルトの言葉になぞらえ、その深遠な内容の本質を論じた。またヤーンは「満ち足りた幸福感の表現」、パウムガルトは、、「3大交響曲のうち最も現世的な喜びにみちている」と評している。