2014年10月14日火曜日

聴衆者としての私の限界

音楽は3者が共生して 構成されている。

1.作曲家
2.演奏家   の3者 である。
3.聴衆者  
                   
私は、音楽に対して全くの素人で、曲は作れず、楽器は鳴らせず、音楽の教育を受けた事もなく、ただ耳が付いているので聞こえてくる・・・ことが一途に聴衆者たることを可能にした。

モーツアルトの時代、モーツアルトは作曲家であり演奏者であったが、聴衆者は宮廷官で、大衆という聴衆者はまだ存在せず、オペラ魔笛あたりから現代の聴衆者らしき者が生まれた。その末裔に私は存在する・・と考えている。

宮城谷昌光(作家)は、「音楽そのものは、たぶん説明と言う卑俗的ななことを拒絶しており、音楽を聴いた者は結局、感動や賛美にしろ嫌悪や不快にしろ、ごく短い叫び言葉を吐くしかあるまい。音楽の純粋性に浸りきろうとする人は、自分を語っているか、作曲家を語っているか、演奏家を語っているか、いずれにせよ、音楽そのものを語れる人など、この世で一人もいないのだ。」 私は名言だとおもう。


又、高村薫(作家)は、「神の摂理を超えたところで、ある時人間が美に震撼することがあるのなら、音楽はまさにその一つだ、と。彼岸に響く音のイメージが私の脳裏にある。」と述べる。


ゲーテや、ベートーヴェンは言った。音楽はすべての芸術より一段高みにあると。さて、
愚かな聴衆者として、私に何が分かっているのだろう? あるいは何がわかるようになるのだろう?

 1. 速い音楽・遅い音楽 
 2. 音色:ピアノの音色・チェロの音色・ヴィオリンの音色
 3. 質量:絶対的な高さ・相対的な高さ 
 4. 感情の方向:嬉しい・哀しい・興奮・沈静・緊張・緩み

これらが私の限界だ。しかし音楽を聴いて、感情を移入し、共に歓び、共に悲しむのは、私の生活を豊富にすることに直結する。感情以外の事柄や思想が生まれる可能性もある。

その啓示にあやかりたい!ー聴衆者としての私の音楽である。