2015年1月1日木曜日

英国ロイヤルオペラ「フィガロの結婚」を回想する

神奈川県民ホール  1992.7.26 

左からスザンナ・フィガロ・ケルビーノ
指揮ジェフリー・テイト

演奏:ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
合唱:ロイヤルオペラ合唱団

配役:
フィガロ/ルチオ・ガロ

スザンナ/マリー・マッグロッフリン

バルトロ/グイン・ハウエル

ケルビーノ/クリスチャーヌ・オーテル

アルマヴィーヴァ伯爵/トーマス・アレン

伯爵夫人/レッラ・クベルリ

ロイヤルオペラは、ウィーン国立、ミラノスカラ座、メトロポリタンと並ぶ世界のオペラハウスだが、国家丸抱えのウィーン、ミラノに比べ財政不安である。音楽監督にハイテインクが就任してから、彼の努力により、改善されたと言う。

コヴェントガーデンの弱点は合唱であることは広く知られるところだ。カルロス・クライバーの客演を請う為彼の示した条件をすべて準備したが、合唱が心もとないという理由で逃げられてしまった。

この不名誉を挽回すべく近年この弱点改善がなされている。

ミッシャ・マイスキー演奏会 を回想する

 茅ヶ崎市民文化会館 1999.3.14

ピアノ:ダリア・ホヴォラ

ベートーベン: ソナタ第1番へ長調

フォーレ:悲しみ
      川のほとりで
      ゆりかご
      夢のあとに

フランク:ヴィオリン気まぐれな婚約
      ハートのクイーン            
      愛の小道

サンサーンス:ソナタ第一番

マイスキーの演奏姿勢はひたすらで、音楽に妥協をゆるさない。耽美的なまでに美的な情緒をもつ。
ユダヤ人であったため投獄され苦しい生活の後ソ連からアメリカに亡命した。それらの苦労が逆に彼の演奏の活力となった。アルゲリッチとの共演で名盤を残した。


愛聴盤:マイスキー: ドヴォルザーク OP104 イスラエル  PH. バーンスタイン指揮  ブロッホ へブラ狂詩曲 

ドイツ・バッハ管弦楽団演奏会

サントリーホール   1989.12.6
 
ゲンネンヴァイン
作曲モーツァルト

指揮ウオルフガング・ゲンネンヴァイ

演題

交響曲第41番「ジュピター」K.551

「レクイエム」 K.626

ゲンネンヴァインは、南ドイツの出身でこの地方独特の素朴な人情を音楽に反映させていると言われる。そうしてヨーロッパ文化の伝統と本質に根ざした永遠なるものの追求者である。

「ジュピター」は、モーツァルトの最後の交響樂だ。
序奏なしで第一主題がはじまるが、緊張感のなかに清楚な旋律だ。
終楽章が力強く終わると、何かをなしとげたような気分になる。私には生活のリズムを付けてくれる曲である。

「レクイエム」は、最後の病床にあって8小節めで絶筆となり、弟子ジェスマイヤーが妻コンスタンッエの求めに応じてその後を完成させた。
曲全体を貫く通奏低音は、荘厳の上に哀しい。数あるレクイエムのなかでも、最も愛されている曲であろう。いはばモーツァルトの遺言書なのである。
 

   


マーラー・交響曲第10番アダ―ジオ・交響曲「大地の歌」を回想する

サントリーホール   1991.11.16

ベルチーニ
指揮:ガリー・べルチィニ

出演:テノール/ベン・へプナー

    アルト/マリアナ・リポプシェック


第10番は、5楽章の構成の計画だったが、第1楽章の完成の後果たせずアダ―ジオのみ残された。

大地の歌は、李白、孟浩然など漢詩の独語訳を基にマーラーの世界観を表わした作曲である。第9番交響曲とすべきところを縁起をかずいて大地の歌となずけた。その後書かれた第9番の1年後、死去しているので縁起は生きていたのである。

大地の歌の最終楽章は「告別」でマーラーの死に対する思いが反映されている。「永久に、永久に・・・」と消えていく声でおわる。初演は親友ワルターによりマーラーの死後6ヵ月であった。マーラーは生存中に聴けなかったのだ。初演は親友ワルターであった。

愛聴盤:「カースリン・フェリアの」大地の歌」ワルター指揮:ウィーンフィル

ボローニア歌劇「ドン・カルロ」を回想する

神奈川県民ホール  1998.10.11

作曲ヴェルディ

指揮:ダニエレ・ガッティ

配役

エリザヴェッタ―・ディ・ヴァロア/ダニエラ・デッシー

ボローニア歌劇場
エポリ公女/グロリア・スカルキ

ドン・カルロ/アルベルト・クビート

フイリッポ二世/ニコライ・ギャウロフ

ロドリーゴ/バオロ・コ―ニ

ドン・カルロは、悲しいオペラだ。登場する全ての人物が満たされぬ苦悩をもっている。しかもオペラの終わりまで望みが満たされず、希望は実現しない。
登場人物だけではない。作曲家ヴェルディは、統一された愛するイタリアの現実に失望する。その悩みの中から「運命の力」につずき「ドン・カルロ」が生まれた。

指揮者ガッティは、ミラノ生まれで27歳でミラノスカラ座にデビュー、以来数々の歌劇場の首席指揮者を歴任し、2016年からコンチェルトへボウ管弦楽団の首席指揮者に就任予定である。


私は、井上ひさしが書いた「ボローニア紀行」を読んだ。ボローニアは知的な教育の街だ。ここには歴史に流されないどっしりした人間の営みがある。だからボローニア歌劇は2百数拾年生きながらえてきたのだろうと思う。




マタイ受難曲BWV244を回想する

ゲヴァントハウス管弦楽団    1990.12.5  オーチャードホール



作曲ヨハン・セヴァスティアン・バッハ
合唱聖トーマス教会合唱団
管弦楽ゲバントハウス管弦楽団
指揮:ハンス・ヨアヒム・ロッチュ

独唱
ソプラノ/レギーナ・ヴェルナ―
アルト/ローズマリー・ラング
テノール/ペーター・シュライヤ―
バス/テオ・アダム
バリトン/ゲオルグ・クリストフ・ピラー

聖トーマス合唱団の歴史は古い。1212年の修道院学校の設立に始まる。1723年からバッハがこの指導にあたった。毎週日曜日にはゲバントハウス管弦楽団員が参加しミサを共演する。ここにヨーロッパの文化伝統を感じる。

受難曲の構成
テノール歌手が担当する福音史家により、イエスの言葉はバス独唱により朗唱され、受難曲の骨格を形成してゆく。福音史家が簡単な通奏低音のみにより伴奏されるのに対し、イエスの言葉は弦楽合奏の美しい和音に彩られその対比は見事である。四声帯の簡単な合唱のコラールは教会の讃美歌で、受難の物語の進行のなかで、それぞれの場面に対する信徒の思いを吐露するかのごとく、感慨深く唄われるのである。


受難曲の全体は二部から構成され、第一部は壮大な二重合唱として開始される。キリストと人類の苦悩を象徴するオーケストラの音楽に乗って、「来たれ、汝ら娘達、我が嘆きをたすけよ。」「誰を」(その花婿を)と唄われる対話、その劇的効果は聴かなければ解らない。イエスは自ら十字架上の死を予言、ユダの裏切り、最後の晩餐、イエスの逮捕で第一部は終わる。


最後の合唱曲「涙と共にうずくまり、墓の中の貴方を呼ぶ」は、ぬかずくような身振りを伴った美しい葬送音楽として、「いこえ、やすらかに、やすらかにいこえ」と、感動的に受難曲をしめくくって終わる。
(樋口隆一氏マタイ受難曲参照)




ペーター・シュライアー;福音史家役



テオ・アダム;イエス役
愛聴盤
1.カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(ディスカウ)
2.クレンぺラ―指揮フィルハーモニー管弦楽団(ディスカウ、シュワルッコップ)
3.フェルトヴェングラ―指揮
ウィーン・フィル管弦楽団(ディスカウ)
私は、1.のリヒターが一番いい。






入場券





ベルリン祝祭交響楽団を聴く 

 ベルリン     1961・10・05
ソリスト:GERTY・HERZOG

指揮者 ローリン・マゼール

 バイオリン演奏者HERZOG

演題:  

JUAN CARIOS PAZ; 1960年の

BORISBLACHER; クレメンティ主題によるバイオリン交響曲

ベルリオーズ; 幻想交響曲

ローリン・マゼールは、1930年生まれ、トスカニーニに見出された。11歳でNBC交響楽団でデビューした。活躍最中若くして溺死した。
BORIS BLACHER

「バイエルン国立ガラ・コンサート」を回想する

サントリーホール1992.11.18

サヴァリッシュ
演題

リヒアルト・シュトラウス/愛に寄せる讃歌OP71より・・・ペーター・ザイフェルト

リヒアルト・シュトラウス/四ッの最後の歌・・・ユリア・ヴァラディ

リヒアルト・シュトラウス/二つの歌・・・ヤン・ヘンドリッ

リヒアルト・シュトラウス/二つの大きな歌OP44より・・・ヤン・ヘンドリック

リヒアルト・ワーグナー/ヴェ―ゼンドンクの五ッの歌・・・マリヤーナ・リボヴェシェック

リヒアルト・ワーグナー/ブルンヒルデの自己犠牲・・・ジャニス・マルティン

指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ

演奏:バイエルン国立管弦楽団

四ッの最後の歌はシュトラウスの死の一年前に作曲された最後の作品で、死を予感した諦観の心境を、隠さず歌に託している。
私はこの歌を名手シュワルッコップの唄う盤(ベルリンフイル)で聴いている。四ッは、春、九月、眠りにつくとき、夕映えのなかで、の四曲である。この録音は最盛期のシュワルツコップの美しい声が聴かれる名盤である。




スイス・ロマンド管弦楽団/ アルゲリッチを回想する

 人見講堂 1987.11.09

指揮者:アルミンジョルダン

ピアノ 演奏者:アルゲリッチ

作曲:ラヴェル

演題:
スペイン狂詩曲
ラ・ヴァルス
ボレロ
ピアノ協奏曲ト長調ピアノ

アルゲリッチ
1965年ショパン・コンクールで優勝したが、格別の驚愕をもって受け入れられた。彼女の荒れ狂う絶叫の音色、音量は話題性があった。ラヴェルは彼女の得意な作曲家であり、この日も艶のある演奏で、さすがアルゲリッチだナと思わせた。
アルゲリッチのモーツアルトは、録音でも聴いたことが無い。やや空虚に感じた。

スイス・ロマンドは、国内のフランス語圏であるスイス・ロマンド地区に常設の楽団をもうける趣旨で名ずけられたが、アンセルメの指導により発展し、財団組織を運営している。

ジョルダンは、スイスのルッエルンの生まれだ。私は1度だけ訪れたが風光明媚なこの街の空気を思い出さずに居られない。ここには音楽が自然発生していると思った。

フランス国立放送管弦楽団演奏会を回想する

東京文化会館1966.10.8

シャルル・ミンシュ
指揮シャルル・ミンシュ

独奏:ニコール・アンリオ・シュバイツァー

演題:
シューマン/交響曲第4番ニ短調OP.120

ドヴィッシ―/交響詩「海」

プロコフエフ/ピアノ協奏曲第2番OP.16

ラヴェル/「ダフニスとクロエ」組曲第2番


シューマンは交響曲を4曲かいたが、最後の曲でなく、若い頃の作だ。私にはシューマンの交響曲はよくわからない。
「海」は、3つの情景からなり彼の絵画的音楽スケッチである。海の表情の豊かさを、見事に描いている。
海を題材にしている音楽は極めて少ないと思う。

私の好きな曲の一つに、イベールの「寄港地」があるが
これも海の表情を良く捉えた名曲だと思う。

プロコフエフの2番は若き日の彼の本領をよく発揮した曲である。ピアニストはミンシュのお気に入りある。

ラヴェルの「ダフニスとクロエ」は、バレエ組曲で、感性の鋭いフランス的音楽だ。

これらの演奏を通して、ミンシュの完成度の高い音楽が、作品にひたむきに立ち向かう意欲と説得力を感じさせる。アルザス生まれの彼はフランスとドイツの両方の文化を体得したが、特にフランス音楽に対する輝かしい音彩はラヴェルやドヴィッシーで発揮される。
当年74歳の指揮台に向かう足どりは年齢を感じたが指揮が始まると若々しくさすが巨匠と思わせた。

私は、パリ管弦楽団を指揮の「ベルリオーズ:幻想交響楽」1967年版を聴いて最高の演奏と思っているが、その演奏の弦の響きはミンシュならではの音楽を聴かせてくれる。



ロンドン・フイルハーモニー管弦楽団演奏会を回想する

東京芸術劇場  1992.3.3

指揮クラウス・テンシュテット

ベートーヴェン
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦樂団

演目:ベートーヴェン/交響曲第6番作品68「田園」

ベートーヴェン/交響曲第5番作品67「運命」

ベートーヴェンは、第5番「運命」で人間の内面の世界を、第6番「田園」で自然と言う外的な対象に目を向けた。「運命はこのように戸をたたく」とベートーヴェンは言ったがこのアレグロの「運命のモチーフ」が強く全曲を貫いている。

第6番「田園」は、彼が遺書を書いたハイリゲンシュタットののどかな美しい自然のなかに自分を置く喜びに満ちた曲だ。すでに耳の状態が悪化していたベートーヴェンにとり、自然は何にも勝る良薬だったに違いない。楽章は1.「田舎に着いた時の愉快な気分」、2.「小川のほとり」、3.「田舎の人たちの楽しい集い」、4.「雷と嵐」、5.「牧歌。嵐のあとの喜びと感謝」である。

内田光子語録回想    示唆に富む・・・

1.日本語は粒のそろったドングリで、ことに抑揚は、重い軽い、長い短い、その組み合わせの変化がほどんとない。むしろそろえることに異常に気を使う。音楽はそろっていないんです。

2.モーツアルトの世界というのは、彼は人を愛することを知っていた人なのです。彼の音楽にあるクオリティの一つは、どんな孤独の時でも、大変身近な愛する人と会話があるのです。

3.シューベルトは、死と直面して生きていますが、彼の人生の中にも幸せの一瞬があり、その瞬間を想像力の中で生かすことが出来るのです。シューベルトは、また会いましょうがなく完全な消滅の別れを作曲しました。
 シューマンは、もしか会えるかもしれないという希望が残っています。

4.言葉は、人が意味が分るのではないかという誤解を招くものです。理解は誤解に通じます。音楽の場合だと、抽象的であることによってそこから解き放されている。その分だけ、人が迷わされずに違いが聴きとれるのではないでしょうか。

ダニエル・バレンボイム・ベートーヴェンピアノソナタ全32曲演奏会

サントリーホール

1987.3.143.163.183.203.223.263.304.1、全8日

8日の連続演奏会であった。44歳の彼にしても8回の演奏・延べ20日にわたる格闘を征服する労力は大変なものだ。すでにCDで全曲録音盤もリリースされているが、ナマ音楽はまったく別の魅力にあふれていると思う。
始めてバレンボイムの演奏を聴いたフルトヴェングラーは、「バレンボイムは驚くべき天才だ」と語ったという。

評論家の中河原理氏は、「音楽はすっかり手のうちに納まって、それを思うがままに紡ぎだし繰りだしてゆくかのよう。柔らかいタッチ、明るい音色、音量とテンポの自在な組み合わせから生じる彫りと明暗の交差、音楽はこうありたい。」と述べている。

私は、8日のうち2度欠席し、6日間通った。鋭敏な感受性、説得力、スケールの大きさを感じた6日であった。特にハンマー・クラヴィーアが好かった。

演題

3.14 ソナタ1番OP2-1
ダニエル・バレンボイム
     ソナタ18番OP.31-3
     ソナタ29番OP.106(ハンマー・クラヴィーア)
3.16 ソナタ13番OP.27-1
     ソナタ7番OP.10-3
     ソナタ27番OP.90
     ソナタ21番OP.53(ワルトシュタイン)
3.18 ソナタ15番OP28(田園)
     ソナタ3番OP.2-3
     ソナタ30番OP109
     ソナタ24番OP.109
3.20 ソナタ16番OP.31-1
     ソナタ14番OP.27-2(月光)
     ソナタ6番OP.10-2
     ソナタ31番OP.110
3.26 ソナタ8番OP.13(悲愴)
     ソナタ12番OP.26(葬送)
     ソナタ25番OP.79
     ソナタ28番OP.101
3.30 ソナタ5番OP.10-1
     ソナタ11番OP.22
     ソナタ19番OP49-1
     ソナタ20番OP.49-2
     ソナタ23番OP.57(情熱)