2014年12月31日水曜日

エンシェント・ミュージック管弦楽団演奏会

サントリーホール  1991.10.26


ホグウッド
演題:モーツァルト「皇帝ティートの慈悲」全曲

指揮:クリストファー・ホグウッド

合唱:国立音楽大学

出演:

ヴィテッリア/ロバータ・アレグサンダ―

 アンニオ/クリスティナー・へ―グマン

 セルヴィリア/中嶋彰子

 ティート/アンソニ―・ロルフ・ジョンソン

通奏低音:
アラスターズ・ロス、スーザン・シェパード

このオペラは、モーツァルトが「魔笛」その他の終生の名作を生み出している最中に生まれた為、いろんな事情が重なって評判が良くなく、上演されることが少ない。オペラの筋は複雑な人間心理の葛藤を扱い、詳細に述べるにはかなりの文句を要する。

ホグウッドはバロック、古典派、ロマン派初期の音楽をオリジナル楽器を使い当時の編成に沿って演奏することを追求し、目覚ましい成果をあげている。ホグウッドより、モーツァルトのテイトが再評価された。揺れ動く人の心を克明に浮かび上がらせ、テンポの良さで、全体を求心力と集中力でモーツァルトを名演奏したと思う。

フランス国立放送管弦楽団

 東京文化会館 1966.10.20

指揮者:シャルル・ミンシュ


演題:

 
フォーレ ペレアスとメリザンド

ルーセル 交響曲第3番ト短調OP42

ブラームス 交響曲第1番ハ短調OP68

ミンシュは2年後に旅行中に死去した。フルトヴェングラーゆずりの大胆な明確な演奏には名演が多いが、彼が得意にしたのは初期の頃はルーセスの3番であり、後世に残る名盤はブラームスの3番、ベルリオーズの「幻想」である。
この日のプログラムはそのうちの曲が選ばれたのである。

ボストンとの「幻想」を加えながら、ミンシュを讃えたい。ミンシュはLPのリスナーにとっては、ボストン交響樂団時代の熱い演奏の虜になった人が多いと思う。ラヴェル、ドヴィッシ―、ベルリオーズは、彼なしでは語れない。特に管の響きの艶はフランス的で見事だ。
最高の演奏会が日本できけるようになったナ・・・と感慨深い。


愛聴盤:ペアリスとメリサンド
     1.カラヤン指揮 ベルリン交響楽団

     ブラームス第1番
     1.メンゲルベルグ指揮 アムステルダム・コンチェルトへボー(LP)
     2.フェルトヴェングラ―指揮 ベルリンSO.(LP)
     3.カール・ベイム指揮 ウィーンSO.ベルリンSO.
     4.バーンスタイン指揮 ウィーンSO.

バーバラ・ヘンドリックス リサイタル

  
」 東京文化会館  1987.12.08

ヘンドリックス
ピアノ:スタファン・シェイヤ

曲目:

ブラームス  4つの歌・5つの歌・6つの歌ほか

フォーレ  ある日の詩・2つの歌・3つの歌ほか

R.シュトラウス5つの歌・8つの歌ほか


特に黒人霊歌のパートはいいのだが、当日は歌わずに終わった。真珠にもたとえられる透明感のあるリリック・ソプラノだ。
ある人は、「悪魔がいて人を誘惑するために優しくささやくとしたら、きっとヘンドリックスの様に繊細で優しくやるに違いない」と言っている。(誘惑されるのもいいナ)

1948年生まれの数学・化学の学士号をもつ。メトロポリタンオペラで、ドミンゴとの共演も多い。



ウィーン少年合唱団

   1986.10.28

ブルグ礼拝堂


日曜。祝祭日の午前中、ウィーン少年合唱団がこの宮廷礼拝堂のミサに参加する。

ウィーン少年合唱団は独立した団体ではなく、この宮廷の付属機関団体であり、このミサで唄うことが、第一任務なのです。
席は1階床と2階席があり、私達は2階席である。満員だったが、日本人はいないようだった。
伝統のある少年合唱団の響きは、礼拝堂の雰囲気に適合して、美しいというよりは敬虔な感じがした。

ミサ入場券
 
 


ザビネ・マイヤークラリネット・演奏会 

東京文化会館小ホール 1985.4.8
ザビネ・マイヤー

演目:

ウェーバ   主題と変奏
 
 
ベルク     4つの小品  OP5
マルチーヌ  ファガチマ
ドヴィッシ―  ラブソディ第1
ウエーバ   クラリネット協奏曲
ミヨ       ストラムッシュ


カラヤンが男性集団であるベルリン・フィルに初めて女性演奏者ザビネ・マイヤーを加えようとしてベルフィルと対立し、全員投票で拒否され身を引いた。1983年のことである。
その話題にいささかの興味が沸き、この演奏を聞いた。1960年生まれのマイヤーは噂にたがわぬ美人で、眩いばかりの白い顔で現れた。
ふくよかな響きが美しく、旋律を歌わせて弾く。クラリネットがもつ哀愁も感じられた。私はモーツアルトのクラリネット協奏曲K.622が好きなので、この弾き手で聴きたいと思ったりした。

愛聴盤:K.622

アルフレッド・ブレンデル・ピアノリサイタル

東京文化会館  1992.01.16
ブレンデル


 

演目:

モーツアルトソナタ・へ長調 KV.533/494
ベートーヴェンソナタニ短調OP.31-2テンペスト
モーツアルト:幻想曲ハ短調 K.475
モーツアルト:アダージョロ短調 K.540
ベートーヴェン:ソナタイ長調OP.101


吉田秀和はブレンデルの演奏は、意識的な音楽の対話があるという。
ウィーンの土壌が生んだ難しいピアニストだ。
プログラムは最高だった。彼の演奏で、モーツアルトとベートーヴェンの対比が面白い。
情感豊かなモーツアルト、躍動するベートーヴェン、上手いものだ

メトロポリタン歌劇場オペラ<ホフマン物語>

               ウィーン国立歌劇場            1995.11.1

指揮プラシド・ドミンゴ        作曲:ビゼー   


配役:

カルメン:ELENA ZAREMBA

ドン・ホセ:LUIS LIMA

エスカミロ:CHAIGNOUD

ミカエラ:ADRIANNE IECZONKA


カルメン役は、37歳のロシア生まれ。
ドン・ホセ役は、47歳のアルゼンチン生まれ。
共に若くはないが、音声は凛々しく美しい。
1961年にバンブリ―のカルメンを観たが34年たっても、カルメンは健在というところか・・・

カルメン役のエルナ・ザレンバは、現在はメトロポリタン・オペラで活躍しているが、ウィーンでの初主役デビュであった。


冒頭のハバネラは、何時聴いても親しめる旋律だ。小さい時から、オペラアリアの最高と思っていた。後日、日本で日本語のカルメンをみた。
ハバネラを「貴方は好きでも、私は大嫌い」と唄っていたが違和感を感じた。
私は「ラ・アモ―レ」ほうが馴染みがあり、いい響きに聴こえる。












2014年12月30日火曜日

小沢征爾・新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会サントリーホール

1988.9.9

ハイモヴィツ
指揮:小沢征爾

チェロ:マット・ハイモヴィッ

メゾソプラノ:伊藤直子

演題   
 ベートーヴェン:  交響曲第4番OP.60
チャイコフスキー:  ロココ風の主題による変奏曲作品33より

マーラー:  亡き子を偲ぶ歌(1905)

ベートーヴェンの第4番は、彼のに最も平穏な時期に生まれた。聞くたびに平易な清楚な曲だなと思うが、じつは音楽的には新基軸が隠されているのだそうだ。私は4番と8番が気楽に聴けるので好きだ。

チャイコフスキーの曲は、18世紀のロココ趣味への趣向よりも、ロシアのメランコリーが滲んでいる。
この時期、彼は結婚の破局からのショックから逃れるため、モスクワを留守にしたが、その間にフイッシャ―ハーゲンが全面的に改変し上演、大成功をおさめてしまった。今日演奏されるのはその改訂版である。チャイコフスキーは、あれは自分の曲ではないと言っている。

マーラーにとって、死は常に重要なテーマで、「生と死、別れと祈り」がこの曲で見事に謳い上げられている。「大地の歌」と双壁をなす名曲だ。

チェロのハイモヴィツは、ヨーヨー・マに師事し28歳ながら、有名オケと共演し,神童といわれる。今回が初来日である。




ケルン放送交響楽団マーラー交響曲第8番

サントリーホール     1991.11.12

演題:交響曲第8番「千人の交響曲」変ホ長調

指揮:ガリー・ベルティーニ

合唱:ケルン放送合唱団、プラハ・フイルハーモニー合唱団、東京少年少女合唱隊

出演:ユリア・ヴァラディ
    マリアンネ・へガンダ―
    マリア・べヌーティ
    フローレンス・クイヴァー
    アン・ハウルズ
    ポール・フライ
    アラン・タイトス
    ジ―クフリード・フォゲル

指揮者ベルティーニはソヴィエト生まれで、イスラエル、エルサレムフィル等を歴任し、いまやヨーロッパ指揮界の中核となった。特にマーラー指揮で定評があり、第1人者であろう。
ケルン放送交響楽団は1983,1988と2度来日し、今回は3度目である。
1000人の交響曲は、初演で1029人が出演したことで名ずけられたもので、マーラーの命名ではない。
ユリア・ヴァラディやジークフリード・フォゲルなど、おなじみの名歌手による名演であった。

メトロポリタン歌劇場オペラ<ホフマン物語>

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 小沢征爾音楽塾オペラプロジェクトⅢ 2002.5.15東京文化会館

キ―チェン:ドン・ジョヴァンニ役


指揮:小沢征爾

配役:

ドン・ジョバンニ/マリゥス・キ―チェン

騎士長/セルゲイ・コプチャク

ドンナ・アンナ/ソンドラ・ラドヴァノフスキー

レポレッロ/シモーネ・アルぺルギ―ニ

ツェルリ―ナ/ハイディ・グラント・マーフィ

昨年の「コシファン・トッテ」につずき今年の「ドン・ジョバンニ」を見た。ドン・ジョヴァンニ役のキ―チェンは、若いポーランド人のバリトン歌手で昨年のコシファン・トッテでもグリエル役であった。メトロポリタンオペラ出で世界のオペラ劇場で活躍する旬の歌手である。その他の出演者も世界で活躍中のいはばそうそうたる配役である。
ドン・ジョバンニは2065人もの女性を征服したという、稀代の色事師だ。この喜劇のなかに、人間の真実と激しさ、光と影が交錯する。
カラヤンはこのオペラを特別扱いして晩年まで振らなかったと聞いた(晩年に指揮し名盤を残した)

小沢も特別の思いで指揮したに相違ないと思う。
数多いアリアを楽しむ、レポレロの唄う「恋人のカタログ」、ツェルリ―ナの唄う「ぶってよ、マゼット」
騎士長の石像の地に響くバス、いずれも素晴らしいものだった。小沢音楽塾のオケも合唱団も好評であった。

2014年12月29日月曜日

マーラー・スペシャル演奏会

サントリーホール   1989.4.28

演奏者NHK交響楽団

指揮者ウオルガング・サヴァリッシュ

演題さすらう若者の歌/バリトン;フイッシャ―・デイ―スカウ

         交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」/ソプラノ;ユリア・ヴァラディ


数年前からマーラーブームが起こっている。
私がマーラの音楽に驚いたのは1975年頃だったと思う。たしかワルター指揮のLPで4番、5番あたりだ。世の中にこんな音楽が存在するのか?あまりにも起伏の多い感情の揺らぎ、しかしとても魅力的なのだ。

やがて1番の巨人と2番の復活が好きになった。好きを通り越して麻薬のようにきいてきた。出勤前の朝から聴いていると幼い娘から苦情が出た。「朝からのマーラーは止めてほしい」と。妻はマーラーは気がくるっている、狂人ではないかと言う。四面楚歌の中で私は堪えた。


たしか指揮者宇野さんの評で、マーラーの大地を絶賛され、あの終末の声を理解できぬものは人間でないと書いてあり、早速カサリン・フェーリアの芸術というLPを購入し聴いた。そして(永遠に、永遠に・・・)と消えて終わる声に涙した。どうやら俺も人間だ!と。


サヴァリッシュは、マーラーを振ることが少ない。とくに5,6,7、番等は、理解できないと話している。
私は、マーラーを聴くと後期古典派のロマンをこえ、現代ジャズにもつながる様な音感がある様に思う。当日は,デイ―スカウ夫妻の最高の技法と歌唱力に、感服した一夜であった。
ディスカウとヴィラディ夫妻

911年マーラーは50歳でこの世を去った。「大地の歌」完成の3年後だ。妻アルマ・マーラ―に
「やがて、わたしの時代が来る」と断言したとうりマーラーは世界を征服した。

余談だが、アルマは美人でウィーン社交界の花形であったので、マーラーの死後、画家をクリムトをはじめ数人の有名人と浮名をながし、画家ココシュカとの交際の後、有名建築家のグロビウスと
アルマ・マーラ
再婚した。自著「わが愛の遍歴」に詳しい。


2014年12月27日土曜日

ルネ・フレミング ソプラノ・リサイタル

  サントリーホール 2002.04.01

ピアノ:ハルムート・ヘル

プログラム

ヘンデル私の心の人

R..シュトラウス憩えわが魂、わるい天候、優しい                     歌達、ツェツィーリェ

ドヴォルザーク月に寄せる歌

グノーなんと美しいこの空

ドヴィシー ピリティスの3つの歌

ラフマニノフ密かな夜のしじまのなかで

山田耕作赤トンボ(日本語)

プッチーニある晴れた日に


ルネ・フレミングとの出会い
1997年 パリーで時間があり、音楽会を探したらポンピドウの国立オペラ座で「マノン」
を上演中と分かり、昼過ぎに劇場のチケット売り場で当夜の二人の券を購入した。
一階中央の良い席で、歌手の声と質がよくわかった。
主演マノン役がフレミングであった。
フレミングはまだ部分的に知られていた頃で、私は知らなかった。
しかしながら、私には驚くほどの声量と表情豊かな美声だった。はじめは何かの間違えかなと思った。いはば一目惚れだった。

以来私はファンとなった。当時は無名のフレミングが、今日ではメトロポリタンオペラの女王と言われ、ドミンゴの帝王とともに メトロポリタンを支えている。長い間にはこんなことも起こるのだ。
 先般「ルネ・フレミング自伝」が出版された。彼女の人生の紆余曲折は、並ではない。加えてソプラノの発声技法について長い記述があるが、天才は一日でならないことを痛感する。

サントリーホールで、彼女の音量は会場を圧倒した。選曲も得意な曲で、感慨無量だ。
終盤に歌った日本語による 赤トンボはファンへのサービスであったろうが、しみじみ聴き惚れた。彼女が来日する限り通わねばならない義務?が私にはあるのだ。

愛聴盤;ルネ・フレミング モーツアルト・アリア。ザ・ビュウチフルヴォイス。

2014年12月19日金曜日

メンデルスゾーン「エリア」を聴く

サヴァリッシュ指揮 NHK交響楽団 サントリーホール          2001.10。12


出演:エリア;ヤン・ヘンドリック

    寡婦、天使;ルート・ツイーザク

    王妃、天使;マリアーナ・リボヴシェク

    東京芸術大学音楽学部合唱
    管弦楽;NHK交響楽団

N饗創立75周年記念演奏会であった。サヴァリッツシュは日本ではN響以外には振らないという惚れこみようであり、N響側でも<指揮台から、投網を投げつけられたようだ>と、心酔の声があった。

エリアの生涯は、旧約聖書の時代だ。イスラエルの神エホバに仕える徹底した預言者で、おりからの邪悪の時代に、神の意志を力強く代弁した。(旧約聖書の時代だ。無知なので少し勉強しようかナ)メンデルスゾーンは宗教音楽に熱心で、大衆にも受け入れられた。作品は2部、42曲からなる。美しい独唱曲の数々、色彩豊かなオーケストラの魅力もさることながら、合唱が充実していて神の栄光を賛美し愛や慰めを抒情的に唄う。どの曲も力強く精彩にあふれ、オラトリオの中軸となっている。

加えて、サヴァリッシュの指揮棒は見事に振られて、宗教曲の集大成を聴く思いだった。1998年最愛の妻に先立たれた彼は死後の最初のコンサート、フィラデルフィアでのリハーサル中、ブルックナーの第2楽章の「葬送行進曲」にさしかかったとき、あまりの悲しさに身体を崩して立ち上がれなかったという人間性と、ウィーン国立歌劇場に招聘したカラヤンに断りを入れ、ベルリン・フィルとは生涯指揮できなかった一徹さをもつドイツ人であった。
私は彼の指先から糸を引くように流れ出る美しい音楽に言い知れない魅力を感じていた。が2013年生地バイエルンで帰らぬ人となった。


2014年12月18日木曜日

サイトウ・キネン・オーケストラ/小沢征爾・演奏会

東京文化会館 2001.1.4
小沢征爾

指揮:小沢征爾

演目:グスタフ・マーラー  交響曲第9番

サイトウ・キネンは昨年からマーラーに取り組んでいる(昨年は2番復活)。今年もひきつずいてマーラーをとりあげ、しかも9番だ。小沢征爾は主題、あの大地の歌の「永遠に」の主題をゆったりと唄わせた。名手そろいのこのオーケストラを信じ、要所を締めながら流れを作って行く。巨匠たちが演奏したように最終楽章のアダージョに向けて、音楽をつくりあげてゆく。

このオーケストラの弦の豊穣さと、小沢の指揮が合致して、世紀末に死と永遠のメッセージを託したマーラーを演じた。
1961.10.21

ミラノスカラ座

ゼルキン
指揮者:ケルテス

演奏者:ルドルフ・ゼルキン

演題:バルトーク   QUADRI UNGHRESI

    ブラームス ピアノコンチェルト1番

    ベートーヴェン 交響曲第7番

ケルテス
ケルテスは、44歳の時。遊泳中高波に溺れて急死した。
白鳥の歌となったのは、ブラームスであった。
そのブラームスをゼルキンと共演していたのである。

私はゼルキンとは後日又聴く機会を得るが、想い出深いコンサートであった。旅先で偶然良いコンサートに行けることは、何か幸せな気持ちに満たされる。


























2014年12月17日水曜日

アッシジ聖堂コンサート

 (フランシスコ大聖堂)   1997.6.7 19:30

宿泊ホテル:ソバシオ
       演題:バッハ O RE DEI RE

  モーツァルト NINNA NANNA


  anonimo        STELLA  LENDENS


    ESECUTORI   CANTORI DI SIST


    I .BIANCHI     LA SERA SUI ONTI
ウルビーノの遠景

近くのホテルSUBASIOに宿泊したが、ミサが21時に終了しホテルに帰ると、夕食は8時で終わりという。外にでて食堂を探したが、小さな町でみんな終わっていた。お腹が空いて、困った。
妻がコンビニを見つけ、いかがわしい何か分からぬものを買い、部屋で頂いた。旅では思いがけないことが起こるものだ。

教会の聖堂内では僧侶の動きなど 敬虔・荘厳が充満し、音楽が終わり、聖堂から出ると眼下にウルビーノの野原が夕日に映えて、見事に展開していた。その美しさは生涯忘れ得ないものだった
ウルビーノの暮色を見下ろす

マーラー・チクルス マーラー交響曲第9番             

サントリーホール  1991.2.19

ベルティニー

ガリー・ベルティニー指揮

ケルン放送交響楽団

バーンスタイン亡き後、マーラ演奏の担い手となったベルティニー待望の第9番である。昨年から続けてきたチクルスの最後を飾る演奏会であった。

総じて、名演奏であった。私の心に残像が今も消えない。
マーラーの最後の交響曲となった9番は、マーラーの死の1年前に書かれ、死後1年演奏されなかったが、真の理解者であり友であった名指揮者ブルノ・ワルターにより初演され世に出た。
ワルターは「終楽章において、彼はこの世に決別を告げる。その結尾は、あたかも青空に溶けている白雲の様に閉じられる。」と述べている。
また渡邊護氏は、それは消滅と未来とを同時に予知している不思議な気分の楽章であるから・・と述べている。

私もこのアダージョの終楽章を溺愛する。私は気が付いたら涙が頬をつたっていた。あの大地の歌の、永遠(とわ)に、永遠にと繰り返され消えてゆく終楽章が再現される・・・

この演奏のライブ盤がEMIから出て購入し,この日の感激を味わっている。偶々自分の聴いた曲のライブを持っているのは、内田光子の「モーツアルト幻想曲ほか(サントリーホール1991.5)」だけである。

マーラーの音楽を最初に聴いたときの驚愕を思いだす。狂気の音楽だと最初は思った。しかし、繰りかえし聞くうちに虜になり、マーラーなしに過ごせなくなった期間もあった。美人の誉れ高く、そして作曲家でもあった妻アルマ・マーラーに、「君は作曲をやめた方がいい、なぜなら俺が全自然を描き出してしまったから」、といったマーラーの言葉には納得できる面がある。
私は、交響曲1番巨人、2番の復活、大地の歌、9番、5番、が特に好きで、なかでもカスリーン・フェリアの歌う大地の歌は名盤だ。

この日のベルティニーの演奏は、ブルノ・ワルター/ウィーン・フイル、バルビローリ/ベルリン・フィル、バーンスタイン/アムステルダムコンチェルト、に匹敵する演奏だった。一段と掘り下げられた陰影感があり、人間的な潤い、優しさを更に盛り込んだ指揮と演奏者のコンビネーションであった。

愛聴盤:カスリーン・フェリア―の芸術/londonLPレコード(9枚組)





2014年12月16日火曜日

バイエルン国立歌劇場 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」          東京文化会館     1988.12.7


作曲:アマデゥス・モーツァルト

演目:コシ・ファン・トゥッテ全2幕

出演:フィオルディリージ  ユリア・ヴァラディ
    ドラべラ  トゥルデリ―ゼ・シュミット
    デスピーナ  ジュ―リ―・カウフマン
指揮:ウオルフガング・サヴァリッシュ

演奏:バイエルン国立管弦楽団
合唱:バイエルン国立歌劇場合唱団

ベートーヴェンをしてあまりにも軽薄すぎると言わしめた、ふざけた筋書きだが、男女6人の愛の綾が最後は喜びと涙で終わる。

モーツアルトのオペラにはヴェルディやプッチーニにないふざけた唄が多い。かりにこれをモーツアルトのロマン主義と呼ぼう。
ドン・ジョバンニの「奥さん、これが恋人のカタログ」、フィガロの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」、魔笛の「可愛い娘か女房がいれば」等々枚挙に暇なしである。モーツァルトの音楽が広く現代に愛好されているのは、このロマン主義にもよるのではなかろうか。

サヴァリシュの指揮は詩的な抒情性にあふれて、美的な指揮棒の動きに魅了される。また、1964年NHKO.を指揮し、いらい定期演奏会の常連指揮者となったが82年からバイエルンの総監督となり、堅実な旋律、繊細な音でファンを魅了した。彼の指揮、彼の指の動きの美しさは格別である。指先から音が流れる。(後記:2013.2.25死去)
ユリア・ヴァラディは、美しい。人も知るディスカウ夫人だが、知的なコントロールは流石である。
モーツアルトはこの時期妻コンスタンツェと葛藤があり、コシファン・トゥッテのバックグランドが整っていた。「女はみなこうしたもの」の自然発生要素がこの傑作を生んだ。

2014年12月15日月曜日

ミラノ・スカラ座演奏会

   
ロストロヴォヴィチ
ミラノ・スカラ座            1997.6.14

指揮 リッカルド・ムーティ

演奏 ミラノスカラ座管弦楽団

ソリスト ロストロヴィチ
ムーティ
演目:
メンデルスゾーン: 静かな海と楽しい航海

 サン・サーンス: 作品33

 ヒンデミット: 弦楽と管樂の協奏的音楽

 ブリテン: ピーター・グライムス(四つの海の間奏曲)

ホテルの手配でチケットを得たが、席が最上階の舞台の上で、ロストロポーヴィチの禿げ頭のみが見えた。随分手数料を払ったが、席は悪い。
ロストポーヴィチのアンコールの「鳥の歌」が秀逸だったことを覚えている。ムーティは若々しいエネルギシュな演奏であった。
特にロストロボーヴィチの老大家ぶりが印象的であった。

愛聴盤:ロストロポーヴィチの名盤:
プロコフエフ チェロソナタOP.119(LP)
ショスターコヴィツ チェロソナタOP40(LP)

ベルリン国立歌劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観る

NHKホール1987.4.5

作曲リヒャルト・ワーグナー

指揮:オトマール・スイットナー

演出:ヴェルナ―・ケルヒ

演奏:ベルリン国立歌劇場管弦楽団
合唱:ベルリン国立歌劇場合唱団

配役:
ハンス・ザックス/テオ・アダム

ファイト・ポーグナー/ジークフリート・フォーゲル

クンツ/ヘンノ・ガルドーン

コンラート/エーリッヒ・ジーベンシュ

ジクストゥス/ジークフリード・ローレンツ

ダーヴィット/ぺ―タ・シュライァ―

エヴァ/マクダレ―ナ・ファレヴィッチ

このオペラは、ザックスがエヴァヘの愛を断念する諦観の上に成り立ち、断念することで精神的な優越を手にしたザックスが、ニュルンベルグ市民の指導者に祭り上げられ終わる。

作曲家ワーグナーの人妻マティルデへの恋が背景にあって、いはば哀しい喜劇と言える。
歌手は当代の名手が揃った。さすがベルリンオペラである。
テオ・アダムとジークフリート・フォゲルは、懐かし顔ぶれだ。フォゲルは後2009年に(モーゼとマロン)で来日したが、声量はこのオペラ時と変わらず堂々とした響きを保っていた。
指揮者スイットナーは、わたしが大好きな指揮者であるが、この日も洗練された正統派の軽快で
典雅な音楽を聴かせた



2014年12月14日日曜日

[ツーランドット」 フレンッエ音楽祭を観る

フレンッエ6月音楽祭   ツーランドット フレンッエ市民劇場  1997.6.10

作曲:プッチーニ
指揮:ズ―ヒン・メータ

出演:トゥランドットEAGLEN
   カラフGIUSEPPE
   リューRISTINA GALLARDO
   ティムールCARIO・COLOMBA

フレンッエ音楽祭は1997年で60回を迎えた。
夕方、アルノ川の堤防に沿って、夕日の方向に歩くと20分くらいで劇場に着いた。

オペラは、中国の映画監督・チャン・イモウが演出した。
衣服は中国色にあふれ、豪華絢爛な舞台だった。主役のEAGLENは、まったくのデブで、オペラを見ているのに、衣服のせいで京劇を観ている感じがした。


アルノ川にそって西へ
客席がざわめいているので、見渡したら、ソフイヤ・ローレン(女優:河の女)が同じ2階席に来ていた。すぐ近くだった。イタリア国民からとても慕われているという。

追記:アルノ川はフィレンチェの歴史に欠かせない川である。塩野七生さんの小説には度々登場する。メジッチ家の歴史と、その所縁の途を、西陽を浴びながら歩いている・・・私はずーっと以前からここで育ったような感慨になった。

2014年12月13日土曜日

ボリショイオペラ「ボリス・ゴドノフ」を観る

神奈川県民ホール       1989.7.2

作曲モデスト・ムソルグスキー

指揮:アレキサンドル・ラーザレフ

合唱:ボリショイ劇場合唱団

配役:
ボリス・ゴドノフ/ユフゲニ―・ネステレンコ

皇子フョードル/タチヤ―ナ・エラーストワ

皇女クセーニア/ニ―ナ・フォミーナ

乳母/ニ―ナ・ガボーノア

書記官長/ユーリ/マズローク

展覧会の絵」で知られるムソルグスキーは、独創的で革新的であった。従来の音楽の原則が彼の作曲を妨げていると嘆く。
「準備ばかりしていないで、何かを作り上げる時だ!」と手紙で絶叫している。

プーシキンの悲劇「ボリス・ゴドノフ」の題材は、民衆蜂起の場面を含め、時代の歴史的真実に近かくした。(民衆の悲劇)と(皇帝の良心の悲劇)がこのオペラの核心となって聴く我々を圧倒する。特に若者と民衆の合唱は圧巻で印象に残った。

2014年12月12日金曜日

ウィーン・フォルクス・オーパー    
 1995.10.31
 KISS ME KATE>
指揮者:ミカエル・トーマス
作曲  コール・ポータ
出演:フレッド・グラハム:ミリオゥ・アドルフ
    リリー:ジュリア・ステンバガ―
    ビル・カルホーン:BRUCE BROWN
    ロイス・レーン:MARTINA DORAK


シェイクスピアの戯曲「じゃじゃ馬馴らし」を参考に
離婚後の男女関係を織り込んだミュージカルコメディである。1949年トニー賞を取得した。日本でも1966年江利チエミが初上演している。

語学のない私は曲を楽しんだ。他人がゲラゲラ笑っているのに笑えないのは辛い。その方がお笑いだ。

映画のキス・ミ・ケイト
又、1953年映画化されている。エリザベス・テ―ラとリチャード・ブラウンが主演だ。

2014年12月11日木曜日


カーチャ・カバノヴァ  ベルンオペラ劇場1997.06.21

作曲家: ヤナーチェク

出演:カバノヴァ;CLARRY BARTHA

           ANNNA GREEN
    

市中のレコード屋で
ベルンは、スイスの首都であり、その美しい町並みは世界遺産である。オペラ劇場は古い伝統をもち、しかも流行に追われずあらゆるオペラの上演により、知られている。当日のカヴァノバにも、その一端がうかがわれた



舞台装置は比較的簡略化されている。古都のオペラを楽しむ市民の様に、欧州の文化のあり様を考えた。
舞台は簡略であるうえに、各場面が暗い照明のなかで物語が進行する。ヴォルガ川のほとりに住む富裕な商人の後家カーチャーカヴァノアはあらぬ恋に悩む。最後はカーチャはヴォルガ川に入水自殺する悲劇である。

古代が美しく保全され、中世の伝統が生かされているこの街で、救いのない人間の金銭的、日常的な現実を思うこともまた有意義である。
付記
演奏データが紛失していて、記憶をもとに、記した。お許しいただきたい。


2014年12月10日水曜日

ウィーン国立歌劇場公演  ばらの騎士 東京文化会館 1994.10.18


クライバー
作曲:R.シュトラウス
演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団


指揮:K.クライバー
配役:
元帥夫人  フェリシティ・ロット
オクタビアン  アンネ・ゾーフィ・フォン・オッタ
ソフィー  バーバラ・ボニ―
オックス男爵  クルト・モル
公証人  ヴォルフガング・バンクル

クライバーが振ると言うだけで、あとは充分というのがオペラ好きという人、あとは安心。配役や合唱など全てが万全でなければクライバーは振らないのだ。すべて保証つきのクライバーのばらの騎士である。

定評のある指揮、さすがクライバーらしく、このオペラの壺を見事に浮き彫りにした。
ウィーンではクライバーのチケットを手にするために闇市場の相場は4~5倍という。当公演については、日本側が多額の出演料を払ったといわれた。老後が保障できるくらいの驚愕の出演料という風評があった。

ロットは、元帥夫人で著名になり、数々の受賞を果たしている。アンネも39歳になったがシュトラウスのオペラで、知的な歌手で、ズボン役に適している。

私は、クライバーは天才指揮者で当代1番の指揮者と思っている。キャンセルの多い彼の演奏を耳にすることが出来るだけで充分である。クライバーの風貌、容姿、身のこなし方、音楽そのもの、が彼の知性と合致して指揮台で動き回っている芸術なのだ。

2014年12月9日火曜日

ミラノ・スカラ座「ボエーム}を観る


指揮カルロス・クライバー
神奈川県民ホール 1988.9.30

作曲ジャコモ・プッチーニ

指揮:カルロス・クライバー

                    演奏:ミラノ・     スカラ座管弦楽団
合唱:ミラノ・スカラ座合唱団

配役
ロドルフォ/ぺ―タ・ドヴォルスキー


ショナール/アントニオ・サルヴァド―リ

ブノワ、アルチンドロ/クラウディオ・ジョンビ

ミミ/ミレルラ・フレーニ

マルチェッロ/ジョナサン・サマーズ

コルリーネ/ジョルジオ・スルヤン

ムゼッタ/バーバラ・ダニエル

クライバー指揮のスカラ座、そして現代最高のミミ役フレーニ。これ以上の「ボェ―ム}はない。
ボェ―ムの初演は1896年トスカニーニが指揮をした。以来約90年間名オペラとして全世界で愛されてきた。
ロドルフォの(冷たい手を)、こたえて(私の名はミミ)、外はクリスマス・イブの賑わい。
胸の病が不治とわかり、別れを告げる(ミミの別れ)、そして哀しい最後の別れがくる。
プッチーニ・オペラの真髄にふれる。

吉田秀和さんの評(朝日新聞)を紹介する

<まれに見る名演で、終生忘れがたいものになろう。フレーには天下一品のミミだった。更に記念碑的出来栄えのもととして、特筆すべきは、カルロス・クライバーの管弦楽の演奏。これはもう伴奏などというものではない。名歌手の揃った舞台にもう一人の稀代の歌手が加わったような音楽を聴かせた。それでいて少しも歌にかぶさったりして邪魔をしない。むしろパステル画のように精妙で、しかも微妙な色彩をふんだんに交えながら必要とあればルーベンスやルノワールにも劣らない極彩色で音の劇を描き出すこともじさないのである。>と最大級の賛辞であった。

吉田さんの賛辞がすべてを言い表している。付け加えるのは野暮なことだ。
しかし残念ながら、スカラ、クライバー、フレーニによる入神の音楽に別れを告げる時も、容赦なしであった。これぞオペラであった。


2014年12月8日月曜日

バスティユ・オペラ 
<マホガニー市の興亡>1995.10.28


演奏:パリー国立オペラ合唱団・交響楽団

作曲:クルト・ヴェイル

指揮者:  ジェフリ・テイト

配役
   べグビク;?
   ジム;ジェニー?  記録紛失

ヴェイルによるいわゆる三文オペラだ。
話の筋は他愛のないものだ。悪徳の町浮浪の民と化した人々を描き、ドンチャん騒ぎのなかで、市は興亡を辿る。主人公のジムは最後絞首刑で死ぬ。演出の面白さが売り物か。
主人公はジム・マホニー、他の3人とアラスカで木こりをしていた皮肉や風刺に満ちた会話が一杯という。因みに悪徳の町の親分の名は、トリニティ・モゼフで、聖人モーゼをもじっている

HVDでも発売されており、人気はあるらしい。パリっ子は、ゲラゲラ笑ってこのオペラを鑑賞するのだろう。