2014年12月17日水曜日

マーラー・チクルス マーラー交響曲第9番             

サントリーホール  1991.2.19

ベルティニー

ガリー・ベルティニー指揮

ケルン放送交響楽団

バーンスタイン亡き後、マーラ演奏の担い手となったベルティニー待望の第9番である。昨年から続けてきたチクルスの最後を飾る演奏会であった。

総じて、名演奏であった。私の心に残像が今も消えない。
マーラーの最後の交響曲となった9番は、マーラーの死の1年前に書かれ、死後1年演奏されなかったが、真の理解者であり友であった名指揮者ブルノ・ワルターにより初演され世に出た。
ワルターは「終楽章において、彼はこの世に決別を告げる。その結尾は、あたかも青空に溶けている白雲の様に閉じられる。」と述べている。
また渡邊護氏は、それは消滅と未来とを同時に予知している不思議な気分の楽章であるから・・と述べている。

私もこのアダージョの終楽章を溺愛する。私は気が付いたら涙が頬をつたっていた。あの大地の歌の、永遠(とわ)に、永遠にと繰り返され消えてゆく終楽章が再現される・・・

この演奏のライブ盤がEMIから出て購入し,この日の感激を味わっている。偶々自分の聴いた曲のライブを持っているのは、内田光子の「モーツアルト幻想曲ほか(サントリーホール1991.5)」だけである。

マーラーの音楽を最初に聴いたときの驚愕を思いだす。狂気の音楽だと最初は思った。しかし、繰りかえし聞くうちに虜になり、マーラーなしに過ごせなくなった期間もあった。美人の誉れ高く、そして作曲家でもあった妻アルマ・マーラーに、「君は作曲をやめた方がいい、なぜなら俺が全自然を描き出してしまったから」、といったマーラーの言葉には納得できる面がある。
私は、交響曲1番巨人、2番の復活、大地の歌、9番、5番、が特に好きで、なかでもカスリーン・フェリアの歌う大地の歌は名盤だ。

この日のベルティニーの演奏は、ブルノ・ワルター/ウィーン・フイル、バルビローリ/ベルリン・フィル、バーンスタイン/アムステルダムコンチェルト、に匹敵する演奏だった。一段と掘り下げられた陰影感があり、人間的な潤い、優しさを更に盛り込んだ指揮と演奏者のコンビネーションであった。

愛聴盤:カスリーン・フェリア―の芸術/londonLPレコード(9枚組)