2015年1月2日金曜日

リヒテルピアノ独奏会(ベートーヴェンの夕べ)を回想する

リヒテル
   日比谷公会堂   1970.10.02


作曲:ベートーヴェン

ディァヴェルディ6ッの変奏曲OP.34

創作主題による6ッの変奏曲OP.76

15の変奏曲とフーガOP.35(エロイカ変奏曲)

ディアベルリ変奏曲OP.120


OP.34は、有名なハイリゲンシュタットの遺言の書かれた年の作品である。同時にエロイカ変奏曲も書かれた。丁度第3交響曲エロイカの時代で命名は後世である。OP.76は、別名(トルコ行進曲を主題とする変奏曲)と呼ばれていて、ロシア民謡からヒントを得て書かれたらしい。

ディアベルリは、演奏時間が50分という異例の長さで、変奏曲としてはバッハのゴールドベルグ並みであり、演奏技巧のあらゆる可能性を試みているとされる。

私は当時「幻のピアニスト」と言われていたリヒテルに畏敬の思いがあり、1961年アメリカで、「カーネギーホールのリヒテル」というMONOラルLP(SONC)を10枚ばかり購入した。なぜか不思議にリヒテルと通い合うことがあるからです。素人の私にリヒテルを論じる資格がないので、参考に、山根銀二さんの「リヒテルの音楽」を引用します。

「リヒテルの音楽を本質においてなりたたせているのは心の力です。中略・・・
人間のやる音楽には心があり、その心がこもっているほど音楽は立派になるのです。こうゆう簡単な原理をリヒテルの演奏は再認させずにはおかない心の言葉があることがの特徴であり、名声を得た理由であると思われます。
例えば戸外から聞こえてくる遠くの村の祭りの音も、窓辺に鳴く虫の声も、彼の手にかかると、なにか深い意味をもった生命の響きに変わってしまい、あの即興的な自然描写が一大交響曲のように豊かな音楽になってしまうのです。そのあとでは誰の演奏、レコードをきいても、そうゆうことはありません。」


最近私は、ユーリー・ボリゾフ著「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)を読んだ。

リヒテルの芸術に対する見識は音楽のみに限らない。
文学では、チェーホフ、プルースト、トーマス・マン、ゴーゴリ、絵画では、フェルメール、ピカソ、シーレ、ダリ、そしてコクトー、フェリーニ、黒澤明の映画、シエイクスピアの演劇、世界の建築など、あらゆる芸術・文化が幅広い関係を示す幾多のエピソードとともに語られている。博識と鑑識眼の鋭さに驚く。

中でも音楽に対する見識は独特であり、シューベルトのソナタはプルーストの小説に似ているといい、スーラの点描はチャイコフスキーだという。著書の第1ページが彼の好きな抽象画で、内容は啓発的で示唆に富んでいる。

今私は、かってリヒテルが茅ヶ崎市民ホールで演奏した際、キャンドルをピアノの上に置き、自らの顔を浮かび上がらせて弾いたことを思いだす。彼独特の美意識に基づいていたのかも知れないと気付いた。彼の弾く「バッハ平均律全集」ほど静かな朝に相応しい音楽は無いと感じ、幸せな時を送るのである。