2011年10月15日土曜日

バレンボイム(ベートーヴェン)演奏会 そのⅠ~Ⅱ

サントリーホール       1987.03.16

ベートーヴェン  ピアノソナタ13番OP27-1
           ピアノソナタ7番 
           ピアノソナタ27番
           ピアノソナタ21番ワルト                     シュタイン

サントリーホール      1987.03.26


べト―ヴェン   ピアノソナタ8番 悲愴
           ピアノソナタ12番
           ピアノソナタ25番
           ピアノソナタ28番




レンボイムはまだ若さに溢れていた。ワルトシュタインでみせた音量の大きさには驚いた。

しかし悲愴では柔らかな優しい音を聴かせた。

2011年10月12日水曜日

ツイメルマン
ツイメルマン・ピアノ独奏会   藤沢市民会館   1985.5.15

バッハ      パルティータ1番
モーツアルト  幻想曲K397
ショパン     舟唄OP60
リスト      悲しみのゴンドラ
リスト      暗い雲
ベートーベン  ワルトシュタイン21番

小澤征爾はツイメルマンをかっているようだ。村上春樹との対話で話している。1987に小沢・ボストンのリストの録音はいい。ツイメルマンは、ポーランドの出、
ショパン・コンクールに優勝後も、地道に演奏している。
ロマンチックで情熱的な演奏は、その輝かしいコンクール受賞歴に裏打ちされ刮目して待つ天分を感じる。地方でこんな音楽が聴けるのは幸せの一語に尽きる。
「悲しみのゴンドラ」は友人ワーグナーの死を予感し作られた。「暗い雲」はリストの晩年の深い悲しみを描いた曲である。
「ワルトシュタイン」はベートーヴェンの傑作である。雄大な構想と、ダイナミックな旋律は、ベートーヴェンならではの作品で、他の追随を許さない。

2011年10月5日水曜日

リヒテル・ピアノ・リサイタル茅ヶ崎市民文化会館  1988.9.28
演奏:スヴャトスラフ・リヒテル
演目
モーツァルト:ピアノソナタヘ長調KV.533
ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24
リスト:スケルツォと行進曲ニ短調

覚書
リヒテルは、7回目の来日だ。初来日の当時(1970年)は、飛行機が嫌いで、鉄道と船の旅であった。いまや親日家であり、当年は25日まで八ヶ岳音楽堂で演奏した。日本の風土も好きらしい。1


2011年10月4日火曜日

マウリツィオ・ポリーニ ピアノリサイタル東京文化会館1993.4.27
ポリーニ
演題
ベートーヴェン:
ソナタ第2番イ長調 OP.2-2
ソナタ第3番ハ長調 OP.2-3
ソナタ第24番嬰へ長調 OP.78
ソナタ3番ヘ短調 OP.57「情熱」


ポリーニは1960年、審査員であったルービンシュタインが(我々審査員の中で彼ほど上手く弾ける者がいるだろうか)という講評をもとに、ショパン・コンクールで優勝した。1974年初来日し今迄6回演奏し日本の聴衆を喜ばせた。
私はかってショパンのエチュードのレコードを聴き、強い衝撃を受けた事を思い出す。精密機械の様な音の刻み、そして母国イタリアの大理石の彫刻像のような彫りの深さ、冷たさが手に伝わる様でもあった。まったく驚いた。こんな風にも弾くピアノもあるんだなぁと。その後リリースされたプレリュードや、ベートーヴェン、シューベルトを夢中できいたものだった。彼の音は独特で、聴いた一瞬にポリーニだとわかる。ブレンデル、アシュケナージとは、温度差の様なものがある。おそらく1世紀に一人という才能であろう。
ソナタ「情熱」は、運命の動機が聞こえる第1楽章や華麗で劇的な終楽章がいい。「月光」、「悲愴」とともにもっとも親しまれているベートーヴェンの代表作である。

2011年10月1日土曜日

ダニエル・バレンボイム特別ピアノ・コンサートオーチャードホール1990.11.15
演奏者:ダニエル・バレンボイム
演題:J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲
バッハが彼の弟子テオフィール・ゴルトベルグの為に作曲したので、この名で親しまれている。別説に後援者の伯爵の不眠に対しての曲との説があるが信憑性は不確かである。

この変奏曲を語る場合、この曲を世界に知らしめた奇才ピアニストのグレン・グールドについて触れなくてはならぬだろう。ご承知のごとく1955年グールドは、ゴルトベルク変奏曲で、全く衝撃的なデビュウをした。この曲に対する解釈上の大胆さはそれまで受容されていた文化的水準、演奏の型、から完全に解放されていたのだ。彼の想像を超えたバッハ解釈は、全世界の音楽を愛する人たちを熱狂の渦に巻き込んだのだ。今ここで詳細に述べることは適当ではないので、他日を待ちたい。

私は、ここでは、グ―ルト自身の言を借りよう。(グレン・グ―ルト著作集Ⅰより引用)
「あの曲は、終わりも始まりもない音楽であり,真のクライマックスも、真の解決もない音楽であり、ポードレールの恋人たちのように「留まることのない、風の翼に軽々ととどま、っている」音楽である。

さて横道にそれたが、バレンボイムのバッハは、音が明るく透明で、そして美しい。最後まで柔らかさを保ち、弾き終わった。

2011年9月30日金曜日

ブルノ・レオナード・ゲルバーピアノ・リサイタル
オーチャードホール1990.3.13
ゲルバー
演題
ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番ニ短調OP.31- 2[テンペスト」
第32番ハ短調OP.11 
第21番ハ長調OP.53[ワルトシュタイン」
第14番嬰ハ短調OP.2                       7-2「月光」
覚書
ゲルバーは、アルゼンチン生まれの49歳、3年前からベートーヴェン・ピアノソナタ全集を録音しADFディスク大賞を受賞し高い評価を得、一段と風格を増し絶賛をあびた。ゲルバーのピアノは重厚で量感があり、技巧も完璧と言われる。総じて音がきれいだ、光沢もある。

「テンペスト」は、ベートーヴェンが弟子にこの曲について尋ねられた時、シェクスペアの「テンペスト」を読めと答えたところから来ている。第2楽章は心の洗われる様な神々しい楽章である。
第32番は個性的な曲で、ベートーヴェンの音楽が凝縮されている。
「ワルトシュタイン」と「月光」は共に感情の高まりが強く、綿密な構成のうえに幻想的なロマンにみちた傑作である。

2011年9月29日木曜日

ゲルバー
ブルノ・レオナード・ゲルバーピアノ・リサイタルサントリーホール1992.5.20
演題
J.ブラームス:3つの間奏曲OP.117
ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOP24
                  ピアノソナタ第3番ヘ短調OP.5

覚書
小児麻痺にかかり体の不自由なゲルバーであるが、ベッドの上でも練習し今を築いた。1965年コンクール入賞後正統派の大器として活躍している。ベートーヴェンのピアノソナタ全集はADFディスク大賞を得た。当日の演題はオールブラームスのみだったが、音楽の本質を身につけている演奏家は、澄んだ美音をさわやかに弾いた。
ブラームスは、3つの間奏曲を「私の苦悩の子守歌)と呼び第1曲でスコットランドの子守歌を旋律とした。
ヘンデルの主題による・・は、次の第3番と共に、抒情的な部分が詩で満たされ、彼の心の奥を打ち明けている。ブラームスらしい曲だと思う。
マリー=クレール・アラン・オルガン演奏会サントリーホール1986.11.26
アラン
演目:J.S.バッハ集
前奏曲とフーガ(BMV548)
コラール 前奏曲(ライプツィヒ・コラールから)
幻奏曲とフーガト短調(BMV542)
オルガン協奏曲イ短調(BMV593)
トリオ・ソナタ第3番ニ短調(BMV527)
コラール 前奏曲(46のコラールから)
トッカータとフーガ ニ短調(BMV565)
覚書
アランはバッハの全オルガン曲をリリースし「バッハ音楽の宇宙を再創造する』と言われている。フランス政府は、歴史的に貴重なオルガンの演奏を、アランに委嘱している。
しかし、当日は疲労の所為かミスが目立ち、3曲目ぐらいから、隣席の男がちいさくぶつぶつとつぶやき始めた。演奏で途中止まりそうにもなり舌打ちしている。私もいらいらしてきた。休憩時間になり、男はもう聞きたくないという。わたしも同感だったので後半は聴かずに帰宅した。私について言えば、オルガン鑑賞につき、まったく知識が無い所為もあった。

2011年9月28日水曜日

ダン・タイ・ソンピアノリサイタルサントリーホール1989.2.13
演題
ダン・タイ・ソン
ラフマニノフ:樂興の時OP.16
ショパン:序奏とボレロOP.19
ドビュッシー:前奏曲第1集

覚書
ダン・タイ・ソンは、1980年東洋人初のショパン・コンクール優勝者となった。ハノイで生まれ、ピアノ教授であった母の厳しい指導のもと、戦火をさけ農家に疎開し、自然と遊びながら、夜更けのランプの光の中でショパンを練習した。
粟津則雄氏はいう。「彼の演奏は、独特の自然体で、本能的に身構える所が無く、低音は深ぶかと鳴り、高音は軽やかに鳴り、最強音をたたいても、再弱音を鳴らしても、いささかもこの自然体が崩れることが無い。」
ラフマニノフの樂興の時は、神経症を病む前の最後の充実した時につくられ、哀愁、軽快、円熟が伺われる初期の作品である。
ショパンの序奏とボレロはスペイン舞曲のリズムで作られ、ショパンの少年時代の作ともいわれる。
ドヴィッシ―な前奏曲は、彼最大の傑作と言われている。日常親しんでいる曲が多く、気楽に聴ける。
亜麻色の髪の乙女、沈める寺、吟遊詩人、西風の見たもの、野をわたる風、帆、などである。

2011年9月27日火曜日

ミッシャ―・マイスキー独奏会茅ヶ崎市民文化会館1990.5.25
演目
マイスキー
J.S..バッハ  チェロ・ソナタ第3番BWV.1029
ブリテン  チェロ・ソナタハ長調OP.65
ファリア  7つのスペイン民謡
ブラームス  チェロ・ソナタ第1番ホ短調OP..38

覚書
マイスキーは、1985、1988,1989、と日本で演奏し今回は3年つずけての4回目の演奏である。私はその内3回聴くことになる。
あのキリストの再来をおもわせる憂いのある顔付は、2年間の強制収容所の生活から現れたものかもしれない。ソ連に生まれイスラエルに移住し、安住の地で彼の顔つきに柔和さがうまれつつあるようだ。
マイスキーの高度な技法は、バッハからブラームスに至るまで独自の哀愁と渋みがチェロならではの響きを発して、豊かな力をあたえてくれる。サイン会が演奏後行われたが、彼は終始笑顔で応じていた。

2011年9月26日月曜日

五嶋みどり・ヴィオリン・リサイタル藤沢市民会館1989.7.12
五島みどり
演題
バルトーク  ルーマニア民族舞曲
プロコフエフ  ヴィオリン・ソナタ第2番ニ長調OP94a
ベートーヴェン  ヴィオリン・ソナタ第8番ト長調OP30-3
ドヴォルザーク  スラブ舞曲第2番ホ短調
エルンスト  夏の名残りの薔薇
サラサーテ  ツィゴイネルワイゼン

覚書
五嶋みどりは、タングルウッド音楽祭でのリサイタルデビューで演奏途中弦が切れたが、冷静に対処し、あの若さでと絶賛された。まだあどけない顔の少女だが、高い技法と、旋律の唄わせ方は一流である。
いずれの曲も自信を持ち、堂々と弾いた。


2011年9月21日水曜日

大学OG合唱団合同演奏会 1987.7.4      サントリーホール
演奏者:
慶応義塾ワグネル・ソサイティ―:光る砂漠

桃友女性合唱団:磯部抒情曲集

聖心女子大学グリークラブOG会:詩編歌

女子合唱団しおん:「蝶」より

学習院輔仁會:MESSE BREVE

桜楓合唱団:「いつも風 流れる川」より

2011年9月20日火曜日

ローマ国立オペラ座        1997.6.6

                            作曲    ロッシーニ


セヴィリアの理髪師


日本を出て3日目で、丁度時差ボケが出て来たらしく、開演途中やたら眠くなり目が開けられなくなり困った。
プログラムを買いぞこね、キャストが不明だ。会場前オペラ座前で、とうりすがりの日本人夫婦が写真を撮ってくれた。

2011年9月19日月曜日

ウィーン少年合唱団の夜 共立ホール    ?    2.06(月)

2011年9月18日日曜日

大学OG合唱団演奏会  サントリーホール  1987.07.04

2011年9月13日火曜日

ニコライ・ゲッダリサイタル 藤沢市民会館     1989.4.21
出演:ニコライ・ゲッダ(テナー)    
ニコライ・ゲッダ
白石隆生(ピアノ)
演題
グリーグ  沈黙の愛
君を愛す
白鳥

マスネ―  目を閉じると
グノ―   ナイチンゲールによす
おおきみは何処え
ビゼー   愚者の歌
スペインのセレナーデ
耳に残る君の歌声
ドニゼッティ 人知れぬ涙
ロッシーニ  赤ん坊の歌
ヴェルディ  星に
ジョルダーノ  愛さずにはいられぬこの想い
チャイコフスキー  舞踏会で
何処え行ってしまったのか、私の青春の黄金の            日々よ

覚書
ゲッダはスエ―デンが生んだ世界最高のテノール歌手でカラヤン、ベームなどの指揮者と共演したし、またマリア。カラスや」テヴァルディとも共演している。
素晴らしい美声の持ち主であリ、スーパースターといえる。

沈黙の愛は、ノーベル賞詩人ビヨルンソンの詩による。君を愛すと白鳥はアンデルセンより、はハイネからである。
マスネの目を閉じるとは、マノン・レスコからの題材で、甘く切ないアリアだ。
グノ―は、メランコリックな旋律で、楽しめる。
ビゼーは、すべてヴィクトル・ユーゴの詩を作曲したもの。人知れぬ涙は説明不必要の名曲だ。
赤ん坊の歌は、才気とユーモアに満ちた作品、のメロディは美しく、チャイコフスキーは、オペラ
「ネオーギン」から主人公の決闘を前にした絶唱である。





2011年9月10日土曜日

エリー・アメリング独演会  藤沢市民文化会館 1989.11.11
ピアノ伴奏:ルドルフ・ヤンセン
アメリングトヤンセン
演題
ドビュッシー:3つのピリティスの歌
ステファーヌ・マラルメの3つの詩
華やかな饗宴第1集
ラヴェル:5つのギリシャ民謡
H.ヴォルフ:スペイン歌曲集より
ロドリーゴ:ポプラの林に行って来た
オブラドルス:一番細い髪の毛で
グァスタヴィーノ:バラと柳
トゥリナ:カンターレス
グラナドス:控えめなだて男

覚書
アメリングは、オランダ出身で、オペラをうたわないソプラノである。低音に味わいのあるアメリングは、広範囲なレパートリーを歌う。

アン・ロジャーズ
二ッのミュージカル
マイ・フェア・レディ
出演者
エライザ/アン・ロジャーズ
ヒギンス教授/チャ―ルス・STAPLEY
ドリトル/ジェームス・HAYTER
ミセス・ヒギンス/ZENA・DARE
ピカリング/HUGH・PADDICK
961年当時、ミュージカルというジャンルはまだ日本では馴染みがすくなかった。
マイ・フェアレディの評判は日本で聞いていたので、出掛けた。折角ブロードウエイに来ているからという気持ちからだ。しかし英語がわからず周囲が笑いこけているのに遅れて笑顔という状態だった。


ウエストサイド物語


ウエストサイド物語は、実は映画を見に行き、実演は見ていない。
帰路LPを購入し船便で送った。バーンスタインの作曲家としての成功作品だ。

ナタリー・ウッドが美しく、歌も上手い。歌は吹き替えなのだらうが調べてみよう。
特にTONIGHTがいい。


ブロードウエイの田舎者




カーニバル
出演者
LILI/ANNA・MARIA・ALBERGHETTI
ジェムス・ミッチェル
KAYE・BALLARD
GOWER・CHAMPION
BOB・MERRILL
1961年のベストミュウジカル大賞を
得た。主役のリリーが可憐でみていて楽しかった。帰路LPを購入した。聴き入っている。




愛聴盤:マイ・フェア・レディ キリテ・カナワ  フレデリック・ロウ
 ウエストサイド物語 メル・ト―レ 君住む街
             カレーラス/トゥナイト
カーニバルのリリー
 

2011年9月7日水曜日

おわりに


たまたま投稿中であったブログを、書籍の形にしようと思ったのはごく最近の事です。すべてに計画性が無く、<どうにかなるさ>と過ごしてきた私の忌むべき特性に拠りますが、私には突発的な出来事でした。

さて、脱稿し、読み返してみて、実は今深い虚無感に襲われています。「音楽は聴くもので、解説するものではなかった」という感慨であり、「音楽を言葉で表現すること自体が無意味なのだ」と気がついたからです。

恐らく、読んで下さる方には何も伝えることが出来なかったように思います。ただ人生は一筋縄ではなく、つねに二律背反です。今回の虚無感が、反転して明日のなにか新しい物につながったらいいなと、<どうにかなるさ>流儀で考えました。

今年は我々の金婚式の年です。光陰矢のごとく過ごした50年でした。この小冊子をその記念の一つとして保管しようと思います。ご厚誼にあずかった先輩と友人に感謝しつつ。