2014年11月4日火曜日

ベートーヴェンを慕う

ベートーヴェンは、わが青春の悲哀、歓喜、躍動につながり、いまも消えることはなく、生きつずけている。
2万人参列の葬儀

特にシンホニ―英雄・運命・田園・7番・9番は、フルトヴェングラー指揮の演奏で聴き惚れた。5番・運命の作曲時には、すでに聴覚を失っていたが、音響は何処で、如何に、唱っていたのだろうか。
1961年私はハイリゲンシュタットの遺書の家(ベートーヴェンハウス)へ行き、さらに1987年家人とその場所に立った。彼は少なくともウィーンで80回も引っ越した。
ウィーンの森に近いこの家で幾多の名作を書いたが、彼を満足させた周囲の美観は残されていた。

ベートーヴェンは、文豪ゲーテやモーツァルトにも会っているが、常に尊大な態度であったという。ベートーヴェンが散策した「ベートーヴェンの小径」はその景観を保ち、訪れる人も多い。ハイリゲンシュタットの小道を背を丸め、後ろ手で歩くベートーヴェンを想像しながら森を散策した。人影はなかった。
帰路ハイリゲンシュタットのホイリゲで、家人、キャサリン嬢とワインを飲み酔っぱらった。

ハイリゲンシュタットの展望