2014年11月12日水曜日

そのⅡ・・・モーツアルトへの巡礼


1997年 モーツアルトの二つの墓に献花し、永年の想いを果たした。
最初に、ステファン聖堂の裏にあるフィガロハウスにいったが、公開日でなく、玄関で引き帰った。
別の日、予て知己のキャサリン嬢(ウィーン大学生、現在は弁護士)に案内され、墓参し、献花を果たした。

中央墓地のモーツアルトの墓に献花する
まず、モーツアルトが埋められたとされるマルクス墓地で献花した。
マルクス墓地は、ウィーンに住むキャサリン嬢も行ったことがなく、モーツアルトの埋葬実話も知らないという。訪れる人は少ないと推察した。
記念墓地の中央墓地は、訪れる人は多い。ここには、ウィーンに縁のある音楽家の墓が夫々のデザインで並んでいて、楽しい墓地だ。これらの音楽家の曲の多様性を暗示するかのように多様である。それにしても、マルクス墓地のモーツアルトは寂しく感じる。死の直前まで、弟子ジェスマイァーに口述しながら、レクイエムを作曲し完成、そしてレクイエムは、自身のための最後の曲となった。


雨中、見送り人は皆無で、共同墓地に埋められたのである。(その日は晴天であったらしいことが、最近の研究で判明した)
ベートーヴェンは、2万人のウィーン市民に見送られ国葬のように、その一生を終えたのに!
マルクス墓地の記念碑と墓 


初めてモーツアルトのあまたの住所を調べあげようとしたヴルツバッハの言葉を借りれば、「聖マルクス墓地とゆう名の最後のもっとも狭い住居へ」移って行ったのだった。


「モーツアルトは、この地上の客にすぎなかったということはある程度真実である。このことは最も高い、最も精神的な意味で妥当である。
彼に関する地上的なものは、何枚かのみじめな肖像画のほかには残っていないし、デスマスクもすべて壊れてしまったということと共に象徴的で、いっさいの混沌たる地上性の克服を意味し、純粋な音響のみが残されている・・・そしてそれは未来永劫に消えさることはないだろう。」--(アインシュタイン;「モーツアルト」より引用)

この日は、小雨の一日であった。夜ウィーン・オペラを鑑賞し、翌日電車でモーツァルトの生誕地ザルツブルグに向かった。