私の音楽風土
そのⅠ・・・青春時代
「ベートーヴェンは、バックハウスがいいネ」
この一言が頭に残った。小学校低学年の私に、友人が言った言葉だった。 当時ベートーヴェンの名は知っていたが、バックハウスがピアノの巨匠であることなど名前も知らなかった。自宅では、手回しの蓄音機があり、鉄針で童謡を歌っていた頃だ。
未知の世界への興味が,誘惑となり、音楽が生活の一部に入ってきた。
上京し、大学生となった私は、当時盛んに催し物をしていた「東京労音」に会員登録した。本部が有楽町のガード近くにあり、クラシック音楽のLPを1週間無料で貸してくれるのを利用し、傷だらけのLPを自宅のプレーヤで聴きつずけた。たしか・・・名盤100選(野村氏)という本に従っていた。
私の音楽の旅の源流はこうして生まれ、土壌としての身体に浸み込んだらしい.。
先ずモーツアルトが好きになった。成立初期の{日本モーツアルト協会」のK.405会員となった。モーツアルト協会は、会員数が626名(モーツアルトの生涯作品数)で、世界各国にもある国際組織である。、1ヶ月に1回例会があり、ナマの音に接する機会が増えた。またN響の定期演奏会の会員にもなり、スウィトナー指揮のモーツァルトに聴き惚れた。
蛇足だが、妻も両会に入会しており、日本モーツアルト協会には私より早く入会していたことが結婚後判明した。「音楽は私の方が先輩ョ」といまだに威張っている。同じ会場で同じ音楽を聴いて育って(?)いたとは!そんな事を知らずに結婚した。・・・嗚呼、世間は厳しいし、狭いナ・・・
ナマの音楽といえば学生時代、神楽坂に下宿していたが、私のレコードの音が通路に漏れていたらしい。通行人の一人に、近くに住む高名の作曲家のお嬢さんがいて、音楽好きの学生ということで、ご自宅に招待され食事を頂いた。爾来その作曲家へ来る招待券が私に回され、私が代理を務め、演奏会に行き、耳をこやした。懐かしい思い出である。何時しか音楽を聴くことが生活の一部となった。
識者丸山真男はいう。「学問的真理の無力さは、北極星の無力さと似ている。北極星は道に迷った旅人に直接には手を取って導いてはくれない。しかし、北極星はいかなる旅人にも、ある方向を示すしるしとなる。旅人は自らの決断と責任で自己の途を求める。」と・・・(丸山真男著;自己内対話より)
私の人生の標の一つを、天空の北極星としての音樂に見出したい。私の命の通奏低音として・・・という意識が生まれたのは、だいぶん後のことであった。
(モーツァルトの影絵)