2014年10月30日木曜日

モーツァルト礼賛

Ⅰ。アンリ・ゲオンの場合


932年、アンリ・ゲオンは名著「モーツァルトとの散歩」を世に問うた。


5歳から死去する35歳までのモーツァルトを透徹した頭脳と、温かい心で分析し、バッハとベートーヴェンの谷間に幼児扱いされていたモーツァルトを新生させた。
1960年代、高橋英郎の名訳で日本でも発刊され、愛好者の注目をあびた。小林秀雄もゲオンを熟読し、「モーツアルト」を書いた。
世界中のモーツアルトファンの必読の書といえる。


モーツァルトの音楽の本質を、悲しさ、速さだと看破した最初の人は、ゲオンである。ゲオンは弦楽五重奏曲ト短調(K.516)の冒頭部アレグロの最高の力感のうちにはじまる耳新しい音を取り上げる。


「それはある種の表現しがたい苦脳で、テンポの速さと対照をなしている。足取りの軽い悲しさ(tristesse  allegre)とも言える。それはモーツァルトにしか存在せず、思うに、魂を満たす極めて赤裸な、いとも純粋な音である」モーツァルトはすっかり新たな装いで飛び出たのである。


ゲオンは、ほぼモーツァルトの全曲に亘って一曲ごとに彼の抱く思索・夢を書いている。面白い。私の座右の本であり、いまや手垢に染まっている

2014年10月28日火曜日

モーツァルト礼賛

Ⅱ。小林秀雄の場合

モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裏に玩弄するには美しすぎる。


空の青さや海の匂いの様に、萬葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツアルトの後にも先にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の短い生涯を駆け抜ける。彼はあせってもいないし急いでもいない。彼の足取りは正確で健康である。彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引きずっていないだけだ。


彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。孤独は、至極当たり前な、ありのままの命であり、でっちあげた孤独に伴う嘲笑や皮肉の影さえない。


追記
小林秀雄は、日本での最初のモーツアルトの研究・理解者であった(昭和初期大岡昇平の文献があるが)第二次大戦中彼は文筆発表を停止し、アンリ・ゲオンの書を読み感銘をうけ、「モーツアルト」の執筆にかかり、4~5年推敲を重ねたという。


「モーツアルト」発表前、彼は伊豆に遊んだ。その時伊豆の嵐のあとの海と空に、モーツアルトが音楽の微粒子となって、宇宙に飛び跳ねて行くのを経験した、と書いた。
「僕は、その時、モーツアルトの音楽の精巧明碩な形式で一杯になった精神で、この無定形な自然を見つめていたに相違ない。突然、感動が来た。もはや音楽はレコードからやって来るものではなかった。海の方から、山の方からやって来た」
 そして名著「モーツアルト」が戦後発刊されたのである。

2014年10月27日月曜日

小澤征爾・ムローバ演奏会を聴く

   サントリーホール  1987.9.24

出演:新日本フィルハーモニア交響樂団

ヴィオリン独奏:ヴィクトリア・ムロ―ヴァ

演題
ブラームス 交響曲第4番ホ短調 作品98

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調OP.77

たまたま、小澤征爾氏の現在の奥様の隣席に座った。小澤征爾のブラームスに対する執念が伝わってくる名演だった。
ムロ―バは小沢・ボストンとの組み合わせでモントリオールのレコード大賞を得て、世に認められた。

ムローヴァ
ムローバは、厳しく強靭だった。ブラームスよりベートーベンが適応していると思った。新日本フィルは、少々の縁があり、毎月定期のリハーサルを聴いているが、小沢征爾が指導していて、弦樂は将来性に富んでいると思う。当日の演奏につき音楽評論家・中河原理の当夜の記事があった。(朝日・夕刊)

蛇足だが実は2012年の昨日、新日本フィルのブラームス4番を聴いた。聴いたと言っても2日後サントリーホールで演奏予定のリハーサルを聴いた。指揮者は若きウィーン出のクリスチャン・アルミングである。第1楽章の繰り返される主題の旋律のうつくしさに酔った。ブラームスの音の響きには、独特の哀愁が漂って、そして残響が残る。

2014年10月26日日曜日

モーツァルト礼賛

Ⅲ。高橋英夫の場合


ゲオン、小林秀雄に比するのには、異論があろう。しかし前両者を比較論評しながらの彼の人生論が楽しい。彼の40番
シンフォニー論に耳を傾けてみよう。


モーツァルトの音楽の中にまぎれ込んだ「思想」は聴きわけにくいが、もう一度耳を澄ますと「彼は万物は流転する」と歌っている。優美な万物流転だ。この優美さ・・・
それを、ト短調に包み込んだ明るさ、と言い換えよう・・・のために、モーツァルトは万物流転は死という終点に帰着しないのだ。


モーツァルトにとり、死は通過するものではあっても、帰着するものではなかった。全体として苛烈な「死」のくぐり抜けであったト短調は、フィナーレでそこを抜け、生に還ったと受けとめる事が出来る。音楽は最後に死から戻ってくるのだ。


モーツァルトという人間が、神にゆだねられてゆく死を知っていたことは疑いない。しかし、モーツァルトにとり、彼の音楽が彼の死とともに無くなることでは決して無かったのである。

2014年10月24日金曜日

私のクラシック音楽の旅:


居間よりリョウブの芽吹きを見る
 
 山中に憩う  信州の旅no.117号掲載の拙文:「山中に憩う」より

(私は仕事で信州で暮らしたことがあり、その折、山中に掘立小屋を建てた。)

都会の喧騒から抜け出し、静寂の雑木林に身を置くと、人間の小賢しい思考など何処かへ

消え失せて、裸になって自然と対峙したいという望みに駆られる。「年々歳歳花相似たり」というが、時々刻々移ろう四季の営みの精巧さに驚嘆の日々を送るのは無為なことではない。
春、雪のアルプスを背に「こぶし」、「桜」、「あんず」一斉に開花する安曇野の山里。
我が草庵の辺りでは群生する「リョウブ」が可憐な芽吹きを演出して春の到来を告げる。
まず二ミリ大の芽が冬の裸枝の最先端に花蕾ように現れ、春空にポッカリ浮かぶ。
約2週間で10センチ大の若葉に開き終わるまで、窓を額縁とした幽玄な小宇宙を展開する。
春の歓びに新生する生命を実感する時だ。

夏、下界が30度を超える暑さでも、標高1000メートル近い草庵は、高山の冷気に満ち、汗ばむことのない別天地だ。強い光の織りなす樹木の陰影、滝のごとく降る
夕立、樹木にかかる霧、鋭光を放つ月と星は、楽しい川遊びとともに子供たちにどんな想い出を残したろうか。

秋、訪れは早い。落葉樹の色彩が千変万化する。紅葉の旬は10日間ぐらいだろうか。風が起こり落葉松の葉が間断なく雨のように降る。

静かな秋陽の日には、落ち葉の舞い散る微妙で甘美な調和音が心に沁みる。
時折山奥からおしよせる突風は樹幹を弓なりにゆさぶり山全体が唸りをあげて奔放に荒れ狂う。
山荘が小舟のように揺れているように錯覚する。
自然が奏でる音楽は多彩で、飽きることがない。

ここは、また小鳥たちの楽園である。セキレイ、アカゲラ,駒鳥、ミソサザイ、コガラ、など枚挙にいとまがない。小鳥と共に過ごすようになって彼らがモーツァルトの愛好者であることに気が付いた。私は大きなスピーカを持ち込んで、楽章の休止時に訪れる静寂に至福の時を見出しているが、モーツァルトのクインテットが戸外にながれ「疾走する哀しみ」が樹間をさすらうと、何時しか小鳥たちが飛来し合唱をはじめている。不思議なことだ。ベートーヴェンやブラームスでは集まらない。

ドラクロアは自然は一冊の辞書だといったが、古来自然から人生を会得した識者は多いと聞く。しかし私について言えば、自然に還ろうとして愚かな自分との格闘に終始することの繰り返しであった。自立した自由な心の人間になるためには、ほどんと無限の時が必要なのだろうか。今は、その過程をいとおしむことが山中の憩いだとわりきっている。

近年、それぞれ独り立ちした子供達が、孫をつれて遊びに来る。
自分達の幼時の想い出を孫に告げながら・・・。
この草庵が家族の安らぎの場として永劫に美しい自然とともに存在することを願う今日この頃である。

森と音楽とモーツァルトは私の心の財宝である。

音楽は森に流れ、海には無い、私はそう思う。森の静寂の中を散歩すれば音楽が聴こえてくるが、海辺では繰りかえす波の音のみ聞こえて空しい。静寂と自由とは最大の財宝なのだ。
ベートーヴェンは言う・・・森の中の全能者よ!森にいて私は幸福である。一つ一つの樹が神よ御身を通じて語る。おお、神よ、何たるすばらしさ!この森の高いところに静かさがある・・

私は、アンリ・ゲオンの下記の文が好きだ。(モーツァルトとの散歩より)

 <モーツアルトの心は、彼が知り尽くし、あらゆるさえずりを聴きわけ、思いのままに歌わせたり、黙らせたりできる小鳥たちでいっぱいの森であった。彼が満足するまで、彼らに森の調べを繰りかえさせる。ここに伸ばした音、あそこにココラトゥ―ラ・・・・いや、あれはまだだめだ。
もう一度やりなおしだ。それぞれに新たに樂想が固まってくるにつれて、前のを消してゆく。まだもう少しの辛抱だ・・・。こうしてやっとシンフォニーがきれいに出来上がるのである。
着想と制作の速さから、われわれは勝手な推論をするよりほかない。モーツアルトの森はけっして歌うことをやめなかったし、彼の心はかたときも音楽を離れなかった。霊感はどこまでで終わり、計算はどこからはじまったのだろうか?楽しみや、苦しみはどこにあったのだろうか?>

天才と技量は渾然と溶け合っていて、ひとつの傑作がどれほど彼に犠牲を強いていたか、我々にとても測り知れないだろう。あの傑作のなかに、どれほどの偽作があり、どれだけが彼自身のものかも永久に知るすべはないであろう。

なぜならば、彼はー先天的であろうと後天的であろうと、天分によろうと努力の末であろうと、自己のうちに、宇宙のあらゆる音楽をもっていたのだから。>
EAR,TANNOY,MACINTOSH,THORENS,CARDAS
こうして、モーツァルトと音楽と森は、我が生の憩いの中核を成している。


























2014年10月22日水曜日

モーツアルトの短調

<モーツアルトの旋律は疾走する。アンダンテの哀しみは,宇宙をさまよい消え去る。涙はその速さに追いつけない。>  小林秀雄は短調の作品に涙する。

ゲオンは、モーツァルトの短調のなかに「allegre tristesse」「爽やかな悲しさ」が存在すると言う。モーツアルトは自己のうちに、宇宙のあらゆる音楽を持つていたのだ。
(モーツアルトとの散歩より)

ゲオンにしろ、小林にしろ、モーツアルト讃歌は揺るぎないが、その調べの中には共通して、現代れわれが失ったある種の音調があることに気ずくのである。

特にモーツアルトの短調作品のK.466,K.491ピアノ協奏曲。K.516弦楽五重奏曲。K.550交響楽40番。これらの曲きくたびに、自分の存在が宇宙とも一体化し安定した気持ちになる。
試みに私は、モーツァルトの短調の作品を列挙してみた。

モーツアルトの短調

1764(8歳)  k.15  フーガ  ィ短調 
1765(9歳)  k.16a 交響曲 ィ短調
1768(12歳) k.60ヴァィオリン・ソナタ21番ハ短調
ヴァィオリン・ソナタ22番 ホ短調?
1769(13歳) k.65   ミサ・ブレヴィス  ニ短調
1771(15歳) k.90 キリエ  ニ短調 
k.22 ブルサム     ニ短調
1773(17歳) K.173 弦楽四重奏曲第13番 ニ短調
K.183 交響曲第25番  ト短調
1778(22歳) K.310 ピアノソナタ第8番ィ短調
1780(24歳) k.390 リート「希望に寄せて」ニ短調
1781(25歳) k.341 キリエ  ニ短調
K.360 ピアノとヴァイオリンのための6っの変奏曲  ト短調
1782(26歳) k.229カノン ハ短調
K.230 カノンハ短調 
K.383c ピアノのためのフーガ へ短調
k.383d 全  上 ハ短調
k.384a セレナーデ12番ハ短調
k.384b アンダンテ   ハ短調
k.397  ピアノのための幻想曲 ニ短調
K.385h K.385f
1783(27歳) k.427  ハ短調ミサ(未完)
k.421  弦楽四重奏曲第15番 ニ短調
(ハイドンセット2番)
k.426  2台4手のピアノのためのフーガハ短調
k.453a   葬送行進曲  ハ短調
1785(29歳) k.466  ピアノ協奏曲20番 ニ短調
k.475 ピアノのための幻想曲 ハ短調
k.478 ピアノ4重奏曲      ト短調
k.477 フリーメーソンの葬送音楽 ハ短調
1786(30歳) K.491 ピアノ協奏曲24番  ハ短調
1787(31歳) K.511 ピアノのためのロンド ィ短調
k.515c 弦楽五重奏曲  ィ短調
K.516a.b 弦楽五重奏曲  ト・ハ短調
k.517  リート「老婆」  ホ短調
k.524 リート「クローエに」ホ短調
     1788(32歳) k.546 弦楽四重奏曲第27番 ハ短調
k.550交響曲第40番  ト短調
k.555 カノン「私は涙もろい」 ィ短調
k.557 カノン「我太陽はかくれ」へ短調
1789(33歳)  k.593a オルガンの為のアダージョ ニ短調
k.594  オルガンのための幻想曲へ短調
1791(35歳)  k.603 オルガンのためのアレグロへ短調
  k.617    管弦楽のためのアダージョ ハ短調
魔笛 成功
k.626 レクイエム ニ短調(ジェスマイアー補完)
           「 日本モーツアルト協会:モーツアルト作品総目録より作成」

モーツアルトの全作品626中、短調作品は50に満たないが、それらはいずれも、哀しさを超えて天空に漂う「疾走するモーツァルト」の代表作となってるのは特筆に値いする。

                                     


 
 




     






   






                   



2014年10月20日月曜日

私の青春時代の世相と音楽界を追想する

Ⅰ。1960年代の追想
  1.  安保闘争で日本中が揺れていた。
  2.  核家族が崩壊し、高度経済成長期に移行
  3.  「上を向いて歩こう}「ス―ダラ節」が流行
  4.  固定為替制で1ドル360円
  5.  観光ビザ禁止(63年解禁)
音楽界
     61年 東京文化会館オープン
     62年 ブルノ・ワルター没
     63年 日生劇場オープン;ドイツオペラ開催
     65年 ポリーニにつずきアルゲルッチ・ショパンコンクール優勝
     66年 カラヤン来日
     67~ バーンスタイン:マーラ全集完成、NHKイタリア・オペラシリーズ4年      
          間、、グレン・グールド録音最盛期、
Ⅱ。1970年代の追想
  1. 高度経済成長期がボスト成長期に入った。 
  2. 夢の時代から、虚構の時代となった。 
  3. オイルショック(1973年)を経て、世界の総人口はマイナスに転じ,優しさが求められた。 
  4. 父の死は1970年、私の身辺も大きく変化した。音楽の好みも室内楽愛好者となった。 
  5. この時代は、オーディオを研究し、音質の表現の再生に時を費やした。          
音楽関係
  70年
    小沢征爾サンフランシスコSO.の音楽監督就任                        
    アルゲリッチとブレンデル初来日                             
  71年
    サヴァリッシュ:バイエルン国立歌劇場の音楽監督就任
  73年
    小沢ボストンSO.の音楽監督就任                               
    カルロス・クライバー初録音                               
  74年 
    ポリーニ初来日                                          
    ベーム/ウィーンPO.初来日                              
  75年
    ツイマーマン:ショパンコンクール優勝、                      
  76年
    ケンペ没                                         
  77年
    マリア・カラス没、                                     
  78年
    ツイマーマン初来日                                    
  79年
    ソニーがウオークマン発売、

2014年10月18日土曜日

Ⅲ。1980年代の追想
  1. 虚構の時代はまだ続いている。不安はよぎったが、楽感していた。
  2. やたら多い演奏会に辟易しつつ、心から聞きたい音楽会を選ぶ。2回(1986年、1989年)ウィーンで音楽を聴く。音楽が途切れると、肌が乾燥し、ザラザラする。やがて肌のみか心臓にまで到達する様に思える。
  3. 分衆の時代に入る。音楽の享受も多様化した。
  4. 母が死去。最後まで浄土真宗に生き、親鸞に殉じた生涯だった。                                                                         
音楽関係:                    
      80年  
        ジョン・レノン射殺さる                                            
        C.クライバー;ブラームス4番録音                                    
        ウィーン国立歌劇場初来日                                  
      81年    
        カール・リヒター没、                                            
        ミラノ・スカラ座初来日、                                     
      82年  
ムロ―バ;チャイコスキー・コンクールで優勝                              
        グレン・グールド没                                         
      83年     
        ホロヴィツ初来日                                      
      84年     
        内田光子;モーツアルト・ピアノソナタ全集発売                          
        「内田のモーツアルト」の批評確立、                                        
        マーラーブーム起こるイスラエルPO.来日、           
      86年     
        C.クライバーバイエルン国立歌劇場O.と来日                          
        サントリーホール開場                                         
、       アムステルダム・コンチェルトへボーO.来日                           
、       アルバンベルグQ.モーツアルト弦楽四重奏曲集完成                    
、       カラヤン&ベルリンPO.と最後の来日日                           、
        テンシュテット&ロンドンPO.来日                          
     88年    
        ミラノ・スカラ座来日                                           
        クライバー「ボェ―ム」を指揮                                      
        オーチャード・ホール開場                                 
     89年      
        サイトウ・キネンO.欧米演奏ツアー     

2014年10月16日木曜日

Ⅳ。1990年代の追想1991年虚構のバブルは崩壊した。
  1. 混乱の中、オーム事件、阪神大震災が勃発。
  2. 人は「優しさを取り戻したい」と願うようになってきた。
  3. 私の身辺雑事も多くなった。なかでも私の病気は思っていたよりも速く進行していた。入退院を繰り返している間に、3人の子供達は結婚し、3人の可愛い孫が誕生した。
  4. 時が速く回り始めたように感じた。

音楽関係(音源の大供給時代始まる。)

      90年      

        諏訪内晶子;チャイコスキーコンクール優勝)

        バーンスタイン没(’90)

     91年

       アラウ没、ルドルフ・ゼルキン没、

       ベルチーニ;マーラー・チクルスを日本;サントリーホールで行う。

       モーツアルト;没後200年記念行事多数   

    92年

       松本でサイトウ・キネン・オーケストラ開始 

   

    94年

       C・クライバー最後の来日「ばらの騎士」を指揮

    95年

       朝比奈隆;ブルックナー全集完成                                         

    96年

       ウエストミンスターLPをCD化                             

    97年

       リヒテル没 

新国立劇場開館   
      98年

       テンシュテット没

       ウィーン国立歌劇場音楽監督に小沢征爾が選ばれる

2014年10月14日火曜日

聴衆者としての私の限界

音楽は3者が共生して 構成されている。

1.作曲家
2.演奏家   の3者 である。
3.聴衆者  
                   
私は、音楽に対して全くの素人で、曲は作れず、楽器は鳴らせず、音楽の教育を受けた事もなく、ただ耳が付いているので聞こえてくる・・・ことが一途に聴衆者たることを可能にした。

モーツアルトの時代、モーツアルトは作曲家であり演奏者であったが、聴衆者は宮廷官で、大衆という聴衆者はまだ存在せず、オペラ魔笛あたりから現代の聴衆者らしき者が生まれた。その末裔に私は存在する・・と考えている。

宮城谷昌光(作家)は、「音楽そのものは、たぶん説明と言う卑俗的ななことを拒絶しており、音楽を聴いた者は結局、感動や賛美にしろ嫌悪や不快にしろ、ごく短い叫び言葉を吐くしかあるまい。音楽の純粋性に浸りきろうとする人は、自分を語っているか、作曲家を語っているか、演奏家を語っているか、いずれにせよ、音楽そのものを語れる人など、この世で一人もいないのだ。」 私は名言だとおもう。


又、高村薫(作家)は、「神の摂理を超えたところで、ある時人間が美に震撼することがあるのなら、音楽はまさにその一つだ、と。彼岸に響く音のイメージが私の脳裏にある。」と述べる。


ゲーテや、ベートーヴェンは言った。音楽はすべての芸術より一段高みにあると。さて、
愚かな聴衆者として、私に何が分かっているのだろう? あるいは何がわかるようになるのだろう?

 1. 速い音楽・遅い音楽 
 2. 音色:ピアノの音色・チェロの音色・ヴィオリンの音色
 3. 質量:絶対的な高さ・相対的な高さ 
 4. 感情の方向:嬉しい・哀しい・興奮・沈静・緊張・緩み

これらが私の限界だ。しかし音楽を聴いて、感情を移入し、共に歓び、共に悲しむのは、私の生活を豊富にすることに直結する。感情以外の事柄や思想が生まれる可能性もある。

その啓示にあやかりたい!ー聴衆者としての私の音楽である。









2014年10月12日日曜日

第2部

第2部・・・オペラ演奏会を回想する

はしがき

過去の資料とメモに基ずき、記憶を辿りながら記載した。60年前からの演奏会の記憶は、陽炎のように揺れているが、懐かしい。

2014年10月8日水曜日

連日連夜「こうもり」を鑑賞する

蝶ネクタイもサマにならない
も盛装?
1987年1月1日・・・ウィーン国立歌劇場
1987年1月2日・・・バイエルン国立オペラ劇場
        
 作曲:ヨハンシュトラゥス2世

『こうもり』は1874年ウィーンで初演された全3幕のオペレッタであり、数あるオペレッタのなかでも「オペレッタの王様」とよばれる。
優雅で軽快なウィンナ・ワルツの旋律が全編を彩り、そのメロディは全世界から愛されている。
その物語が大晦日の出来事を題材にしているため、ウィーンをはじめドイツ語圏の国では大晦日恒例の出し物となっている。
年始のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートともに恒例行事なのである。

チケットは、知人に手配して貰ったが、とくにC.クライバーのこうもりは、現地の人々も入手困難であった。ちなみにこの年のニューイヤー・コンサートは、カラヤンが指揮者で、現地到着後に勧められたのは一人14万円とのこと、とても届かず断った。

2日つずけておなじ演題を聴くことは勿論空前絶後のことである。
ウィーンで元日をおくり、翌朝飛行機でミュンヘンに飛んだ。

「こうもり」の筋書きは、仮面舞装会で仕組まれた夫婦の浮気に起こる喜劇である。
仮装の妻に気付かず、時計をまきあげられる仕草など、まことに抱腹爆笑もので楽しい。



1月1日ウィーンの入場券

1987.1.1 ウィーン国立歌劇場
指揮者:GUNTER・NEUHOLD
配役:
ロザリンデ:NORMA・SHARP
アイゼンシュタイン:ベント・ヴァイクル
アルフレート:トーマス・MOSER
アデ―レ:フランク・カセマン
フランク:ウオ―タ・ベリー
ファルケ博士:ジョウジ・TICHY

1月1日ウィーンのこうもり
オルロフスキー:HELGA・DERNESCH

1987.1.2 バイエルン国立オペラ劇場
指揮者:カルロス・クライバー
配役:
ロザリンデ:ジャネット・ペリー
アイゼンシュタイン:EBERHARD・WAECHTER
アルフレート:ジョセフ・HOPWIESER
オルロフスキー:ファスベンダー

1月2日バイエルンの入場券
2日のクライバーは、さすがに流暢なウインナーワルツを聴かせた。総じてバイエルンはウィーンより堅固な底力を感じる。特にクライバーの「こうもり」は行く末永く歴史に残ってゆくだろう。

後日、クライバーがウィーン・フィルで振ることを断わり、「こうもり」はバイエルンに限ると言ったということを知った。
もっとも刑務所長の役がウィーンの方が面白くて爆笑をさそう演技だったので楽しめた。


1月2日バイエルンのこうもり
終了後、オペラ座の前のレストランで。ビールとソーセージで夕食をとる。そのソーセージの味の辛いこと!ビールを浴びなければ舌の痺れが治らない。ついでに今年の多幸を念じて多めの乾杯!

12時40分にホテルの部屋にたどり着いき連日の「こうもり」を終えた。





2014年10月2日木曜日

運命の力   ミラノスカラ座   東京文化会館  2000.9.19

グレ―ギナ
作曲ジョゼッペ・ヴェルディ

指揮:リッカルド・ムーティ

演奏:ミラノ・スカラ座管弦樂団・合唱団
出演
レオノ―ラ; マリア・グレ―ギナ
侯爵; エンツオ・カプアーノ
ドン・カルロ; マエストリー
ドン・アルバーノ; サルヴァート―レ・リチトラ


私と「運命の力」は、その名のとうり、縁が深い。1961年ウィーンでの出会いから3回目のデートだ。ムーティ指揮のスカラ座となれば豪華である。

 運命の力の序曲が好きだ。オペラ序曲としてこのオペラの全貌を見事に暗示している。
第一音のあの暗い響き・・つずく押し寄せる運命の叫び、序曲を聴くだけでも満足感を得る。
最終場面
 このオペラは3人の主役が揃ってはじめて良くなる。私には39年前のウィーン国立オペラでのレオノ―ラの「神よ平和を与えたまえ」のアリアの残像と音量が忘れられない。









ヴェルディは、イタリア・ロマン派オペラに新風を吹き込み多くの名作を生んだが、劇的な迫力に満ちた音楽で現代でもオペラ上演の主格となっている。「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」「マクベス」「ドン・カルロ」の傑作、そして「レクイエム」を生んだ。私にとって「運命の力」と「レクイエム」は、音楽の範疇を超えた存在感で君臨している。




















                                                           愛聴盤:プラデエリー指揮、アカデミー室内弦楽、デル・モナコ、シミオナート、シェビ、デヴァルデ