はじめに
高齢となった今、生きていてよかったと思う時があります。
詩人ホイットマンは「良い音楽や本に出会った時、あと700年生き延びてそれを極めたい」と言ったといいます。
最近同じ感慨が私を襲うことがあります。自己の生への止み難い欲望が私の中に潜在しつづけているようです。
所詮音楽的な感動・体験は個人的なものであります。
音楽は、私の生の中で生まれ、様々な感動を私に与え、浸透し、ひとときは離れ去っても、再び私に戻ってきました。
くも膜下出血で開頭手術を受け,生死をさまよい、屈折した心の後でも、「生きていてよかった」と思うことが多々ありましたが、そこには、音楽での感動の蘇りがありました。私は、その救いをバネにして生き永らえて来ました。もしそれらの感動が無ければ生きられなかったと言っても過言ではありません。
振り返ると、私の人生の貴重な時間の多くが、音楽に割かれ、彩りを添えてくれた事に気がつくのです。
生きている事の意味を求め、放浪の時、空間をさまよう時、音楽を聴くことが、自分を聴く事でもありました。
残された時間に限りが見えてきた今日、音楽は、私にとって有意義な啓示が聴こえて来る手段であり、実に、音楽を語ることは、私の唯一のカタルシスなのです。
「音楽は、一切の知恵・哲学よりも、さらに高い啓示をもたらす」とベートーヴェンは言いました。そうだ、音楽によって自分を聴き、奏でよう。
より高い啓示と、生を味わうために!